所感

生活の所感を投稿します。

北氏に関するメモ

コンテンツとしての拡充には質・量双方からのアプローチが望ましいが、前提として

□目的の決定:ゴールは名声といちカルチャーの普及なのか、収益なのか、モテたいからなのか、その目的と意義の方向性により異なるアプローチが求められるが、それら各要素は分断されることなく混在しているため、各要素を拾い上げそれぞれの対処法を勘案した上で、各要素へ波及する効果を勘案しつつ意思決定することが良い。

 

 

■イベントの質的アプローチ

・イベントの「集中」に注目する:均一化されるポストモダン(ポモ)社会の個人差異促進プログラムとしてのイベント、つまり非日常間をどれだけ演出できるか? 北氏は演者間に発生する楽しみを共有したいという。馬場はインタラクティブな試みを推奨する。根拠として、表現者と鑑賞者が二元化されているならば、「見せ物」として有名アーティスト・他イベントと同じ土台で勝負することと同義であり、市場原理による競争が激しい。小規模構成かつインディーズの強みを生かし、表現者と観客が相互に関係することによる二元化の解消が望ましい。「ジャズセッション」も普段何気なく参加しているが、実態は参加者と鑑賞者の境界線はほぼ無く両者とも芸術への参加者であり、明らかに双方向的イベントである。ホストはセッションの場としてのクオリティの保証者とされ、それに対しての報酬がチャージとして支払われる。「ジャズセッション」における場の提供と見返りという性質は参考になるのではないだろうか参考文献として『人工地獄 現代アートと観客の政治学』、現代アーティストとして「ゴンザレス・トレス」

・具体案はワークショップ、ナイトクラブ的照明、演者・鑑賞者感の物理的敷居の解消(用はプレイヤー側に立って聞く)、DJのウラガワ案、全裸等のハプニング 

・クルーの性別(SEX)多様化:男性で占められているが紅一点としての女性クルー採用がより広範への性別の指向性を示すアナウンスメント効果が望まれ、付随するファン層も多様化できるかもしれないが、馬場は人選に口を出すべきではないと自覚している。

 

 

■イベントの量的アプローチ

・コスト面:実践者が最も良く自覚している部分だと思うので割愛

・いかにパブリックへ伝えるか:内輪での開催ならばマーケットは半プライベートに閉じられており、アガりも小規模かつ想定範囲内という程度に収まるだろう。メディアの紹介があったならば応じ、プライベートからパブリック層への拡充が必要とされるだろう(質的に優れていることが前提である)

・回数試行/キャパ増加:軌道に乗りシステムが構築されれば試行回数=売上の増加であるが、芸術という領域自体、人自体を駆使するものであり、限界費用(Marginal Cost,MC)が大きく、大量生産・大量消費に向かないことであるから、一定以上の試行回数よりかはハコの大型化が望ましい

・媒体をハコではなく路上とするアイデアメディウムが廉価かつ巨大化可能なダンボールと画材点数が少ないグラフィティ、路上演奏との相性もいい。箱代などコストも小さい。(質的アプローチとも関連)

・HP解説、ステートメントや実績の一覧が掲載されると望ましい、馬場は村上隆の著書『芸術闘争論』における「作家・作品としての圧力」の解釈として、アーティストの信用力は実績等からなる来歴に影響し、ファインアートのみならず他芸術領域でも信用度の形成に係るであろうと考える。