所感

生活の所感を投稿します。

結局アカデミア

 社会人(サラリーマン)は自分向きではないし、合同会社代表となっても金銭が絡む利害関係には例え部下であろうが向いていないと感じた。利潤を、法・モラルの遵守という条件付きで追求するのが社会人である。利潤を追い求めて何になるのだろう?マネーはいわゆるツールであり、それ自身が膨らもうが、豊かとは言えないだろう。そして、マネーの残高を自分の存在力として評価するならば、孫正義氏、前澤氏、上場企業の会長・・・正直言って自分より無限大に金持ちが存在する。だからと言って下をみて「アイツらよりは金持ち」なんて空虚な満足を得るのもあまりにもさもしい。

 かくして残されたラストリゾートこそが大学院というアカデミアだ。芸術、特に美術には強い興味がある。2019年1月末頃初めて版画の版を買ったのをきっかけとし、今では片足つっこんだ程度には沼に浸かった。

 僕がとりわけ興味があるのがアートの価値評価である。非実用の極みであるファインアートがどうして値段が付くのか?学部の専攻が金融だっただけに、価格が形成されるメカニズムに強く惹かれるのだ。

 

 昨今のアートのムーブメントはビエンナーレトリエンナーレと言ったアートプロジェクト、鑑賞者が参加することで作品となるリレーショナル・アートらしい。リレーショナルアートといえばゴンザレス・トレスのキャンディを観客に持って帰らせる作品が印象深い。

 新興ムーブメントであるアートプロジェクトは大型になりがちで、資金調達の為ファンド・レイジングを行うが、その価値評価が今だ定まっていない。それはそうだ、アートプロジェクトがチケット、カタログの売上はあれど開催する自治体に対する直接的な収益はそれくらいで、レストラン・ホテルなど周辺施設への外部効果、もっと言えば鑑賞者に与えた文化的知見を数量的に計測することは難しい。

 しかし、ここにチャンスがあるのではないだろうか。今まで研究しようと思った絵画、彫刻作品の価格形成メカニズムは僕一人で趣味でやればいいわけだし、それを計量するとなれば経済学の院しかないだろう。アートプロジェクトならニーズは大きいし、開発経済や財政学とも太くリンクしている。アートプロジェクト(都市開発経済)に関する教授もそこそこいて、カバレッジも熱い。従来のファインアート(絵画、彫刻など)の価値形成の分野は先人たちが掘り尽くしてもう出る物はないのだろう。