decide who you are
僕は、関係者達とのコミュニケーションが本質であるプライマリーギャラリーの仕事というものは向いていないかもしれない。
というのも思ったより自分は人が苦手であるらしい。
と言えども、人が嫌いという訳ではなく(むしろ好き)、関係がある人達には、なかなか上手くいってはいないのだが、贈り物しかり、何かにしかり、最低限の義理は果たしたいと思っている。
この半年で僕のこれまでの甘ったるい性根は画廊の教育で叩き直されてきていて、自分の心境、考え方は大きく変化した。
まず、相対している人物の方向がどちらを向いているか分かるようになって来ていると思う。
つまりは、彼/彼女自身のための言動なのか、人のためなのか。
もっと言えば、自分自身が好きなのか、そうでないのか。
僕を含め、若い人には圧倒的に前者が多いと思う。
自分が好きというのは別に悪いことじゃない。それも1つの正解であると思う。
しかし、自分のためにというのはそれ自身で完結してしまうのではないだろうか。
荒く言えば、自慰行為に過ぎない。
人の間と書き人間と呼ぶ。何かを生み出し、それを残すには、目的を他者のためにと方向転換させる必要があるだろう。
迷ったら、他人を優先すべき。
さも無くば、孤独が待つ。もしくは、空虚な関係性のまま閉じてしまう。
若い内は自分好きでもいいと思う。ただ、30,40歳になった時を考えれば、今後それはとても恐ろしくて出来そうにない。
だからと言っておせっかいとはまた違う。他者が今、何を欲しているか。タイミングにしかり予測にしかり、適切でなければただの「やってる風」「やってる感」だけの自己満足に陥る。
その塩梅がなかなか難しくて僕もなかなか掴めずにいる。
刹那に自分のためだけに生きるか、他者のために生きるか。