所感

生活の所感を投稿します。

個別作家補足 『現代アートの本当の学び方』P145迄

引用は"で囲い、URLか出所が分かる最低限の程度とします。すみません。

 

会田誠 アイダ マコト 1965年生 -

ミズマアートギャラリー 昭和40年会

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e2/Makoto_Aida_2012.jpg

藝大院卒(油画)。一貫して日本でのみ活動し、国内現代アートに置いて地位を得ている人物。画風は少女がモチーフである事が多く、性、暴力といったラディカルなテーマは賛否両論である。2018年、京芸において聴講生より起訴された件は記憶に新しい。『美しき旗』漫画『ミュータント花子』

"東京藝術大学・大学院を卒業。「レントゲン藝術研究所」で開催された展覧会「フォーチューンズ」で本格的に活動をはじめます。

その後は絵画だけでなく写真や立体作品、映像作品、都市計画などの分野で、国内外を問わずに活躍中。個展やグループ展などを数多く開催していることから、彼の作品を見たことがある方も多いでしょう。

奈良美智村上隆とともに「新ジャポニズム」の代表的な作家といわれ、美少女やロリコンなどをテーマにしたエログロや、戦争・暴力の賛美など、社会通念や道徳に対するアンチテーゼを盛り込むタブーな作風で知られています。" byhttps://honcierge.jp/articles/shelf_story/6503 

美術としての作品の参考ページ

https://mizuma-art.co.jp/artists/aida-makoto/ by Mizma Art Gallary

https://mizuma-art.co.jp/wp-content/uploads/2018/01/MFN5.jpg

 Moment For Nothing V ~にほんのまつり~ 2019

 

日比野克彦(ヒビノ カツヒコ) 1958/08/31 - 

84'藝大院卒 ダンボール素材の作品が特徴。

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcQYsNUQGYYwUvRCwkZTG1LzKi_LzVeFR8ll-jDxlvN65KlftdEA

"日比野克彦は1958年岐阜県生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、同大学大学院修士課程を修了。大学在学中よりダンボールを使った作品で注目を浴びる。修了後間もない86年にシドニービエンナーレに参加。95年にはヴェネチア・ビエンナーレに参加し、顔が描かれていない赤ん坊《AURO》をはじめ、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件を経た日本社会を反映した作品を出品した。近年は各地で一般参加者とその地域の特性を生かしたワークショップを多く行っている。主な個展に「HIBINO DATA ON OUR TIMES ある時代の資料としての作品たち」展(いわき市立美術館など5会場、2001-02)、「HIBINO EXPO 2005日比野克彦の一人万博」(水戸芸術館)、「日比野克彦HIGO BY HIBINO」(熊本市現代美術館、2007-08)など。キュレーションでも幅広く活動し、2013・14年の「六本木アートナイト」でアーティスティック・ディレクターを務めたほか、2020年に向けたリーディング・プロジェクト「TURN」の監修を行っている。"by 美手帖

インタビュー記事

https://www.cinra.net/interview/201903-hibinoochiainiwa

その他平面作品など

https://www.j-jafra.jp/eco/art/hibino.html  byエキからエコ。

 

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRRMyOmRXjCi7rxXoZTqpDADmmukMgUl0s4Mk-lgQ22CIkGml_-

『Present Airplane』 1982 在学中、第3回日本グラフィック展大賞受賞作品

https://www.cinra.net/uploads/img/interview/201903-hibinoochiainiwa-photo2_body.jpg

1983年『Glove』

 

◆P052 フランシス・ベーコン(Francis Bacon)1909-1992

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7d/Bacon_by_Gray_257.jpg/220px-Bacon_by_Gray_257.jpg

"20世紀後半に置いて最も重要な画家"多くのパブリックコレクションがある。

"ベーコンが絵描きとして注目を集めるようになったのは1944年に制作した三連画《キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作》からで、第二次世界大戦直後から、本格的に画家としての評価が高まりはじめた。"

https://www.artpedia.asia/francis-bacon/ by アートペディア

https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=666x10000:format=jpg/path/s093251349da78e77/image/ib18fee3f2d3721d5/version/1569195068/image.jpg

『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』(1953年),公式サイトより

https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=335x1024:format=jpg/path/s093251349da78e77/image/i62405df0ab2541ec/version/1569194759/image.jpg

《キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作》(1944年)

https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=666x10000:format=jpg/path/s093251349da78e77/image/i16990b25c283298a/version/1569197617/image.jpg

ルシアン・フロイドの3つの習作》1969年,Wikipediaより

https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/s093251349da78e77/image/i99f6b3c60a34a192/version/1453243470/image.jpg

『黒の三連』(1972-1974年)1964年以降最愛のパートナーであるジョージ・ダイアーを亡くして2年後に描いた作品

 

P057 フィリップ・オットー・ルンゲ  Philipp Otto Runge 1777-1810

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e4/Philipp_Otto_Runge_005.jpg/200px-Philipp_Otto_Runge_005.jpg

19世紀ドイツのロマン主義を代表する作家

by http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1035113450.html

 "ルンゲは大変多彩な人物で、33年という短い生涯であったにも関わらず、シュライエルマッハーの「宗教論」に触発されて、自然を表象化して再編集し、新たな宗教画の境地を開拓しました。"

 ”ルンゲは、絵画のみならず、色彩論においても重要な功績を残しています。ゲーテの最も重要な著作に「色彩論」がありますが、ゲーテは色彩に関してルンゲと書簡のやり取りをし、互いに大きな影響を受けています。 
 特に現在でも使われている色立体(下1枚目)はルンゲが開発したものであり(下2枚目はルンゲの色球)、その功績は特筆に値するでしょう。

"ルンゲ以前の絵画は文章より下の階層にありました。絵画は、文章で説明できるように表象や隠喩を用いてきました。骸骨で死をイメージさせ、女性に脱げやすい靴を履かせて尻軽女を表して来たのです。

 しかし、ルンゲは言葉や理論の及ばない、さらなる高みをイメージで表現しようとしたのです。このような意味で、彼の絵画はジョルジュ・デ・キリコの形而上絵画の先駆けであり、すべてのシュールレアリズムにつづく画期的な試みであると言っていいと思います。"

 

 この本と結び付けての所感:イノセンス(生まれ持つ暴力性)を図示するため谷口幹也はルンゲの絵画をP57で引用している。絵画がそういった言説を補強する為の引用されており、上記のルンゲの解説と矛盾している点を発見した。

 言説を補強する絵画の引用は使えるかもしれない。

https://livedoor.blogimg.jp/kokinora/imgs/4/a/4a6521ee.jpg

https://livedoor.blogimg.jp/kokinora/imgs/b/2/b22f5a68-s.png

『色彩球』1810年出版、この後肺結核により死亡(33歳)

https://livedoor.blogimg.jp/kokinora/imgs/1/5/1555806f-s.jpg

『ヒュルセンベックのこどもたち』1806 oil on canvas

 

◆P095 ヒロ・ヤマガタ 1948/05/30- 71

日本での人気が高い。wikipediaでは英文より日本語ページが充実している。

そのわかりやすい視覚性はクリスチャン・ラッセンと類似している。(現にディズニーとのコラボレーション作品もある)

影響にヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲル

http://santo.pa.land.to/yamagata3.jpg

https://images.shibayama-co-ltd.co.jp/artworks/zoom/595_75586ee89a7cb8a4067f0335ba4be88e.jpg

 『ライダーカップシルクスクリーン 275部

https://www.suiha.co.jp/wp-content/uploads/2019/11/f-natunoowari-1.jpg

『夏の終わり』1989年 シルク 295部

 

◆ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch  1450年頃 - 1516年8月9日 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/51/Jheronimus_Bosch.jpg/220px-Jheronimus_Bosch.jpg

本人とされる肖像(描かれたのは1560年?)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ae/El_jard%C3%ADn_de_las_Delicias%2C_de_El_Bosco.jpg/1920px-El_jard%C3%ADn_de_las_Delicias%2C_de_El_Bosco.jpg

快楽の園(1490年 - 1500年頃、プラド美術館蔵)

 

ピーテル・ブリューゲル Pieter Bruegel or Brueghel, 1525年-1530年頃生 - 1569年9月9日没)

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/Petro_Bruegel_Pictori.png/220px-Petro_Bruegel_Pictori.png

死後に発表された肖像画(1582年)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Pieter_Bruegel_d._%C3%84._041b.jpg/400px-Pieter_Bruegel_d._%C3%84._041b.jpg

『子供の遊戯』 oil on canvas 1560年ごろ 118cm x 161cm ウィーン美術史美術館収蔵

 

P095 クリスチャン・ラッセン 1956年3月11日 (年齢 63歳)

言わずと知れた諸説ある人物。サーファーの一面も。上場企業のアールビバン社は彼の動員力に依存していると言っても過言ではない。

https://puzzle.epoch.jp/s/lassen/profile/img/image.jpg

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRUs7OItdIj6Dl4n9p9IdoiWaPh6IcpIPCtw1mRfqPNSKzN85x9

ミッキーマウス/ソーサラー・オブ・ザ・シーズ』ポスター

 

 ◆P096 カラヴァッジオ Michelangelo Merisi da Caravaggio、

1571年9月28日 - 1610年7月18日 イタリア生

http://www.salvastyle.com/images/collect/caravaggio.jpg

 

"徹底した写実性と劇的な明暗対比や感情表現で、後にあらゆるバロック期の画家に多大な影響を与えたと言われるイタリアバロック絵画最大の巨匠(本名はミケランジェロ・メリージ Michelangelo Merisi)。しかしその強烈すぎた表現は品位に欠けるとして非難を浴びることも多々あった。また画家として名声を得ていたカラヴァッジョは1606年、35歳の時に喧嘩で一人の男と決闘、相手を刺し殺しローマから逃亡。殺人犯として追われる身となったが、逃亡先のマルタ共和国で『洗礼者聖ヨハネの斬首』を描き、これが認められ教皇より免罪される。しかし一年も経たずして再度些細なことで決闘し投獄される。一度は脱走を試みるも、数日後に逮捕、同作品の目前で斬首刑を宣告される。享年38歳。
※カラヴァッジョの模倣とされていた英国王室の「聖ペテロと聖アンデレの召命」について、近年おこなわれた洗浄・修復の結果、画家の真作であることが判明した(2006年11月追記)。"by http://www.salvastyle.com/menu_baroque/caravaggio.html

http://www.salvastyle.com/images/collect/caravaggio_pietro01.jpg

『聖ペテロの磔刑 (Crocifissione di San Pietro)』
1600年 | 230×175cm | 油彩・画布 |
サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂チェラージ礼拝堂

http://www.salvastyle.com/images/collect/caravaggio_battista01.jpg

『洗礼者聖ヨハネの斬首 (Decollazione del Battista)』 1608年
361×520cm | 油彩・画布 | サン・ジョヴァンニ聖堂(マルタ島)                  

361x520cmのカンバスに描かれた最大の傑作。

 

 

Study3 美大に行かなくてもアートは学べる?PP104~

1969年美学校開設の講師陣として

◆O JUN (おう じゅん)

https://mizuma-art.co.jp/wp-content/uploads/2018/01/089659a46ae2628deada17a94debd134.jpg

1956 東京都生まれ

1980 東京芸術大学美術学部油画科卒業

1982 東京芸術大学大学院美術研究科油画専攻修士修了

1984-85スペイン(バルセロナ)滞在

1990-94ドイツ(デュセルドルフ)滞在

2007 文化庁芸術家在外派遣研修員としてアルゼンチン(ブエノスアイレス)滞在

by https://mizuma-art.co.jp/artists/o-jun/

https://mizuma-art.co.jp/exhibitions/1911_ojun/ 画風について語っている

https://mizuma-art.co.jp/wp-content/uploads/2018/01/kohan.jpg

湖畔(2009) oil on canvas 100x100cm 高松市美術館所蔵 撮影:山田新治郎

 

◆間島秀徳(まじま ひでのり)

http://www.ando-tokyo.jp/artists/artists-face/majima-s.jpg

1960 茨城県に生まれる
1984 東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業
1986 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了
'00~01 文化庁在外研修員としてフィラデルフィアペンシルバニア大学)、ニューヨークに滞在

http://hidenori-majima.com/gallery/index.html作品集(公式HP)

"間島:確かに私の作品では「水」が重要です。以前から「水」を立体的な形にするために必要な物質性を探究してきました。即ち「水」の作品が成り立ち得ると気づいたときに、「重さ」が必要になりました。水が垂れて、流れ、滲み込むときに、過剰ではない僅かな砂や大理石との対峙が画面の奥行きを引き出すのです。"

http://www.gei-shin.co.jp/comunity/04/42.htmlインタビュー

http://hidenori-majima.com/gallery/img/g07/118_2018.jpg

116:Installation in Takashimaya,Tokyo Kinesis No.716(mount sea)117:Installation in O museum,Tokyo Kinesis No.716(mount sea)118:Installation in Hotel Gajoen,Tokyo Wano akari×Hyakudan Kaidan

 

中ザワヒデキ

美術家(よりは批評家だろうか?)

https://bigakko.jp/wp_test_universe/wp-content/uploads/NakazawaHideki-150x150.jpg

2000年~より美学校講師?

"皆藤 ありがとうございます。中ザワさんと美学校の出会いを教えていただけますでしょうか?

中ザワ 最初は小沢剛さんや会田誠さんの講座のピンチヒッターとして代行で来ていまして、2000年から2001年にかけて数回ですね。その時に藤川校長から中ザワさん是非講座を、ということになって色々な成りゆきがあって、2007年から文献研究が本格的に始まったということですね。2002年にも方法主義宣言というタイトルの講座を三ヶ月やったこともありましたね。"

https://twitter.com/nakaZAWAHIDEKI 本人ツイッター

https://www.aloalo.co.jp/nakazawa/index_j.html AIと芸術についても研究している。

https://bigakko.jp/course_guide/art_mediation/nakazawahideki/interview1.html インタビュー記事

 

松蔭浩之(まつかげ ひろゆき) 1965- 

写真家 ミズマアートギャラリー 昭和40年会 所属

https://mizuma-art.co.jp/wp-content/uploads/2018/01/matsukage_portrait-2.jpg

 

写真家

"松蔭 浩之(まつかげ ひろゆき、1965年12月18日 - )は、現代美術家、写真家。福岡県出身。1988年大阪芸術大学写真学科卒業。1990年アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」でベネチア・ビエンナーレに世界最年少で選出される。以後、数多くの国内外個展やグループショー、シンガポールビエンナーレ(2006年)ほか国際芸術祭に参加。写真作品を中心にインスタレーション、パフォーマンス、ミュージシャン、執筆、グラフィックデザイン、俳優、映画監督など多岐に渡って活動を続ける。アートグループ「昭和40年会」(1994年結成。現メンバーは会田誠有馬純寿小沢剛大岩オスカールパルコキノシタ松蔭浩之の6人)では会長を務める。宇治野宗輝とのロックデュオ「ゴージャラス」(1997年結成)では国内外でのライブを盛んに行った。また、2016年再始動したポストインダストリアルグループPBC」(1987年結成)でも演奏活動を続ける。俳優としては金子雅和監督『アルビノの木』など数々の作品に出演。監督作品は、画家の会田誠を主演に起用した『砂山』(2012)、若林美保主演の『LION』(2018)がある。また大学、専門学校の教壇に立ち、講義やワークショップを精力的に行う。「美學校」においては現代美術を独自の視点で分析し、アートの読み解き方、表現発想法をわかりやすく指導する講座『アートのレシピ』にて後進の指導にもあたっている。"by wikipedia

1965 福岡県生まれ

1988 大阪芸術大学写真学科卒業

https://mizuma-art.co.jp/wp-content/uploads/2018/01/20_Lust-For-Life_2017-.jpg

『Lust for Life』 2017

作品 by https://mizuma-art.co.jp/artists/matsukage-hiroyuki/ ミズマアートギャラリー

 

 

卯城竜太(うしろ りゅうた) Chim↑Pom/美学校講師

アーティスト

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcQouJwWjNRkc2URNTTSpTkLO6ReJ-gSfjtQRUiLaabNhsloslRQ

アーティスト集団Chim↑Pomのリーダー。 Chim↑Pomが公の立場としてコメントやメッセージを発する場合、卯城竜太か同集団のメンバーであるエリイが喋ることが多い。[1] 会田誠が2001年~2004年の間美学校で担当していた現代美術演習の講座である「バラバラアートクラス」の出身。[2] 現在は美学校の「天才ハイスクール!!!! ~現代美術セミナー~」という講座で講師を務める。 高校を中退している。[3]

Chim↑Pomとしての作品・プロジェクト by http://chimpom.jp/project.html

 

久住昌之(くすみ まさゆき)1958年7月15日 -

孤独のグルメの原作者

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcSvMZh4kmLYmPjA7pg2e74fwquNvbbEzCqrQOg3D12JQW6b7xY0

日本の漫画原作者、漫画家、エッセイスト、装丁家、作曲家。泉晴紀とともに泉昌之(いずみ まさゆき)としてコンビを組んだり、実弟久住卓也とともにQ.B.B.としてコンビを組んで、作品を発表した。漫画業の他にも、デザイン・音楽など幅広い活動を行う。by wikipedia

 

代表作, 『孤独のグルメ』(1994年 - ) 『中学生日記』(1998年). 受賞, 文藝春秋漫画賞1999年) みうらじゅん賞(1999年) 日本絵本賞(2019年)

 

菊池成孔 (きくち なるよし)1963年6月14日 -

コンポーザー 

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRnzm_J2ejxqecdQhOO-TUJQs8N892UhUYrVrDfEj4IiwoN5PRe

千葉県銚子市出身の日本のジャズ・ミュージシャン、文筆家、作曲家[1]。銚子市立銚子高等学校を経て、音楽学校メーザー・ハウスサックス科卒業[2]。作家の菊地秀行は実兄。by wikipedia

宇多田ヒカルのプロデュース歴あり『Hymne a l'amour ~愛のアンセム~』2010年10月

 

◆メチクロ

デザイナー

http://www.yoppy.tokyo/asset/uploads/2016/08/61edf6234c8d559fbc74f9aeb13227c0.jpg

"Mechikuro [SF inc. / MHz ] Art director / Hardware Designer. "

HPのHard Worksを観る限り、音響機器Fostexのデザインも務めた?

https://images.squarespace-cdn.com/content/v1/58883c2ae3df28abe3a1e4df/1485770373745-3DDRYJHNMHGW6ET8O6O4/ke17ZwdGBToddI8pDm48kPvJC0XLfsHrF3k9eJuvmQkUqsxRUqqbr1mOJYKfIPR7LoDQ9mXPOjoJoqy81S2I8N_N4V1vUb5AoIIIbLZhVYxCRW4BPu10St3TBAUQYVKcG1V1tqHsyh4w_1r5AQcLB_KL8Ni4PiiNKh8Ee86xxVny3hQwxyQ87Lfa0m3tu1IQ/matic_th900_top.jpg?format=1500w

https://images.squarespace-cdn.com/content/v1/58883c2ae3df28abe3a1e4df/1485769240316-1XUY5D93LK5NANDUIII6/ke17ZwdGBToddI8pDm48kPvJC0XLfsHrF3k9eJuvmQkUqsxRUqqbr1mOJYKfIPR7LoDQ9mXPOjoJoqy81S2I8N_N4V1vUb5AoIIIbLZhVYxCRW4BPu10St3TBAUQYVKcG1V1tqHsyh4w_1r5AQcLB_KL8Ni4PiiNKh8Ee86xxVny3hQwxyQ87Lfa0m3tu1IQ/matic_kotori301_top.jpg?format=1500w

https://images.squarespace-cdn.com/content/v1/58883c2ae3df28abe3a1e4df/1485770242588-PIIDAQNWEJS28NZPH296/ke17ZwdGBToddI8pDm48kPvJC0XLfsHrF3k9eJuvmQkUqsxRUqqbr1mOJYKfIPR7LoDQ9mXPOjoJoqy81S2I8N_N4V1vUb5AoIIIbLZhVYxCRW4BPu10St3TBAUQYVKcG1V1tqHsyh4w_1r5AQcLB_KL8Ni4PiiNKh8Ee86xxVny3hQwxyQ87Lfa0m3tu1IQ/matic_te04_top.jpg?format=1500w

http://www.yoppy.tokyo/hintradio/images/img_pro04.jpgH!nt ラジオ

ラジオのデザインについてインタビュー記事 http://www.yoppy.tokyo/articles/6146/

 

赤瀬川原平(あかせがわ げんぺい、1937年3月27日 - 2014年10月26日)

アーティスト パフォーミング・アーティスト 前衛作家 元ハイレッド・センター

https://image.chess443.net/S2010/upload/2014110500007_1.JPG

 

赤瀬川 原平は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。本名、赤瀬川克彦。純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。by wiki

"55年に武蔵野美術大学入学後、58年に読売アンデパンダン展に初出品し、60年に吉村益信らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。63年には高松次郎中西夏之と共に、「ハイレッド・センター」を結成し、「ミキサー計画」として《模型千円札》や梱包作品を発表したほか、屋上から物を落とす「ドロッピング・イベント」や、「首都圏清掃整理促進運動」などのパフォーマンスを行う。64年、《模型千円札》が違法であると起訴され「千円札裁判」が開始、有罪となる。"          byhttps://bijutsutecho.com/artists/105

 

"ハイレッド・センターの名は、よく知られているように高松次郎(高=ハイ)、赤瀬川原平(赤=レッド)、中西夏之(中=センター)から来ており…"

by https://artscape.jp/report/curator/10094072_1634.html

東洋経済による解説 https://toyokeizai.net/articles/-/55349?page=1

 

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRy9-KXou_CT17rkqYWED2KE8GOr95PRBX9huUgPyuJ6rMZJJqU

『宇宙の缶詰』1964年/1994年

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcQzPcNOKYRCW24s3kaReMCPlXhUFTzAvN71ysYW_ZrghH9E01P5

《首都圏清掃整理促進運動》1964年 HRC

 

中西夏之 (なかにし なつゆき) 1935年7月14日 - 2016年10月23日

平面作家 元ハイレッド・センターの"センター"

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcQGJaSmF0scVGS1mPUlczMpUuGn9Ru2Q9QUTYVuLUCdcRm-ZR4z

 日本の前衛美術・現代美術家東京藝術大学名誉教授。女子美術大学客員教授。元倉敷芸術科学大学教授。美学校の設立にも奔走した。by wiki

 "中西夏は1935年東京都生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。59年に砂を混ぜた塗料を用いた《韻》の制作を開始。62年、高松次郎、川仁宏らと《山手線事件》と称したパフォーマンスを決行する。63年の「第15回読売アンデパンダン展」に、キャンバスから出た紙紐にアルミ製の洗濯バサミを大量につける《洗濯バサミは撹拌行動を主張する》を出品、代表作となる。同年に赤瀬川原平高松次郎ハイレッド・センターを結成してパフォーマンスを行うほか、65年には舞踏家である大野一雄土方巽らと交流。瀧口修造澁澤龍彦らとも知り合う。土方率いる暗黒舞踏の公演の舞台美術や舞台装置、オペラの舞台装置など、活動の幅を広げる。96年、東京藝術大学美術学部絵画科教授に就任。97年、東京都現代美術館にて「中西夏之展 白く、強い、目前、へ」が開催されたほか、晩年まで精力的に新作を発表し続け、国内外で展覧会が多数開催。オブジェやインスタレーションも発表したが、とくに平面作品に向き合い、絵画という概念自体について根源的な思索を深めながら制作を重ね、空間への緊張を表現してきた。2016年没。"by美手帖

中西夏之と『紫・むらさき-XVII』に関する評論

https://artscape.jp/study/art-achive/10146179_1982.html

代表作

http://search.artmuseums.go.jp/jpeg/momat/s0013038.jpg

中西夏之:紫・むらさき XVII (1983)

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcTsSMmqxN62Yw7A2CB-gicKpo84Jj6xSEzZhHRiwwMRacAAl433

夏至のG/Z』より1 1993年/シルクスクリーン 限60 サイン 74×99 額92×117 

 

◆(本誌には登場していないがハイレッドセンター補完として)

 高松次郎 たかまつ じろう 1936年2月20日 -  1998年6月25日

 ハイレッドセンターの"高"松

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 "高松次郎は1936年東京都生まれ。本名は新八郎。中学2年生頃にピカソの作品を通して現代美術に興味を持つと同時に、アインシュタインを知り大きな衝撃を受ける。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻に入学し、小磯良平に師事。同級生に工藤哲巳中西夏之ら。56年に雑誌『近代文学』にカットを描き、この頃から「高松次郎」を名乗る。58年、「第10回読売アンデパンダン展」(東京都美術館)に作品を出品。以降数回にわたり同展に参加する。大学卒業後、一般企業に就職してインダストリアルデザイナーとして働く傍ら作品を制作。62年、中西夏之らとハプニング《山手線事件》を山手線車両およびホームで決行。翌63年、赤瀬川原平中西夏之ハイレッド・センターを結成する。64年、代表作となるシリーズ《影》の制作を開始、個人名義で発表する。その後、絵画の形式を持つものや、彫刻に似た立体物、文字を用いた版画や写真など、様々な分野にわたった作品を制作する。68年の第34回ヴェネチア・ビエンナーレ、70年の第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)「人間と物質」、77年のドクメンタ6と、世界中で活動を行う。73年頃から平面作品を中心に手がけた。98年没。"by 美手帖

"ダンディーな風貌にサングラスをまとうなど、彼自身にも謎めいたところがあります。クールな「影」の作品で知られる以前には、赤瀬川原平中西夏之と結成したユニット「ハイレッド・センター」で「反芸術」的パフォーマンスを繰り広げ、晩年は同一人物と思えない作風に舵を切るなど、活動の変遷にも「なぜ?」が多い人物。没後10数年を経て、美術館キュレーターたちが名探偵のごとく(?)新資料を鍵に謎に迫るのが、東京国立近代美術館の『高松次郎ミステリーズ』展です。アーティストの原点となった初期、代表作を生んだ中期、唯我独尊の晩年という3部構成の会場を、各担当キュレーター3人が追った「謎」も聞きつつ体験しましょう。"by cinra net

作品・解説by http://www.nukaga.co.jp/aft2017takamatsu.html 

解説その2https://www.cinra.net/column/takamatsujiro_report

Jiro Takamatsu_No.234_1968_41x32.2x17.5cm
高松次郎「№234」(32.0×41.0㎝、1968年作)

高松次郎 影A 211.0x168.0x12.0cm 1964年作

「影A」211,0×168.0×12.0㎝ 1964年作

高松次郎 形-原始№1382  205.0×291.0㎝ 1995年作
「形/原始 №1382」205.0×291.0㎝ 1995年作

 

 

 

◆中村 宏(なかむら ひろし)1932年9月20日 -

画家 Fuma Contempolary Tokyo Bunkyo Art 所属?

http://bunkyo-art.co.jp/artists/img2/nakamura0.jpg

日本の画家。日本大学藝術学部美術学科で学ぶ。東京造形大学客員教授。児童文学の挿絵を担当する際は「中村ヒロシ」の表記も使用する。静岡県浜松市出身。by wiki

"中村宏は1950年代より社会状況を記録した「ルポルタージュ絵画」で注目を集め、戦後日本社会の世相を鋭く映し出した制作活動が高く評価されている。また、自らを「絵画者」と名乗り、「モンタージュ絵画」「観念絵画」といった独自の方法論によってタブローを理論化し、新たな絵画表現を切り拓いてきた。近年は、遠近法や色彩論など古典的な絵画技法そのものをモチーフにした作品を展開している。"by 美手帖

作品集は下記より

http://bunkyo-art.co.jp/artists/HiroshiNakamura.html

http://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/46201/

http://bunkyo-art.co.jp/artists/img2/nakamura-2.jpg

《円環列車・A-望遠鏡列車》1968年 東京都現代美術館

http://bunkyo-art.co.jp/artists/img2/nakamura-3.jpg

《円環列車・B-飛行する蒸気機関車》1969年 東京国立近代美術館

 

◆菊畑 茂久馬 きくはた もくま 1935年3月5日 - 

画家

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に在住し、同地を拠点に活動している。前衛美術集団「九州派」の代表的存在であり、戦後日本の前衛美術画家の一人。

"菊畑茂久馬という芸術家もまた、村上にとっては「日本美術」を体系化するうえで避けて通れぬ存在だったのだろう。菊畑は、一貫して福岡を活動の拠点としながら、50年代末から社会、政治的問題を背景にした前衛芸術運動に身を投じ、「九州派」や「読売アンデパンダン展」等で廃品を用いた土俗的アウラをまとうオブジェを発表して一躍「反芸術」の旗手となるが、60年代後半から80年前半までの長き間、アートシーンの最前線から退き、藤田嗣治を始めとする戦争記録画や山本作兵衛が手がけた炭坑記録画の研究に打ち込んだ後、1983年の《天動説》を皮切りに巨大なタブローの連作を次々と発表していく。"

by キュレーターズノートhttps://artscape.jp/report/curator/10118465_1634.html

椹木 野衣(さわらぎ のい)による評論も含む

https://artscape.jp/report/curator/__icsFiles/artimage/2016/01/13/c002curator/1601kt_01.jpg

菊畑茂久馬 個展「春の唄」展示風景
Photo Koichiro Matsui
Courtesy of Kaikai Kiki Co., Ltd

 

鈴木清順 すずき せいじゅん、1923年5月24日 - 2017年2月13日

映画監督

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日本の映画監督、俳優。本名は鈴木 清太郎(すずき せいたろう)。弟に元NHKアナウンサーの鈴木健二がいる。

日活の専属監督として名を馳せ、小林旭高橋英樹宍戸錠らを主演に迎えた。『殺しの烙印』は一般映画のみならずカルト映画としても世界的な評価が高い。『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』の三部作では幽遠な映像美を見せた。その独特の映像表現は「清順美学」と呼ばれた。晩年メガホンを取った『ピストルオペラ』『オペレッタ狸御殿』でのアバンギャルドな作風は、世界中の監督達に強い影響を与えている。

同氏が監督を務めた映画リスト50 https://cinema-rank.net/list/51505

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ツィゴイネルワイゼン 1980

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ルパン三世 バビロンの黄金伝説 1985

 

◆小松武久 こすぎ たけひさ 1938年3月24日 - 2018年10月12日

作曲家

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 "音を用いた表現の第一人者として知られる小杉武久が、2018年に食道がんのため他界した。東京芸術大学在学中より即興演奏を始め、1960年には「グループ・音楽」を共同結成し、集団即興演奏を試みた小杉。60年代半ばにはニューヨークに滞在し、芸術集団「フルクサス」にも参加した。

 その後も武満徹一柳慧との「Collective Music」や、即興演奏集団「タージ・マハル旅行団」を結成するなど、即興演奏を中心とした活動を経て、77年にアメリカへ移住。マース・カニングハム舞踊団の専属音楽家に就任し、95年より音楽監督を務めたほか、バイオリン演奏や電子テクノロジーを駆使した表現も行い、世界各地の芸術祭への参加や、美術館、ギャラリーでのサウンドインスタレーション作品の発表など幅広く活躍した

80歳でその生涯を終えるまで独自の音楽観を貫いた小杉だが、活動の中心が欧米であったため、国内でその演奏や作品に接する機会は限られていた。よって日本国内よりも海外での評価がきわめて高かったことは、『ニューヨーク・タイムズ』誌に掲載されたニール・ガンスリンガーによる追悼記事の反響からもうかがえる。

 そんな小杉の50年以上にわたる活動の一端を紹介する「小杉武久の2019」が開催される。本企画は、埼玉県深谷市と東京都渋谷区での3会場を舞台に、「演奏」「展示」「映像上映」の切り口による4プログラムで構成。時代の趨勢とは関係なく、独自の表現活動を展開してきた小杉の作品世界を堪能できる機会となる。"

by美手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/20268

 

◆淺井 裕介 あさい ゆうすけ 1981年3月3日 -

泥絵画家

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 淺井裕介は1981年東京都生まれ。99年神奈川県立上矢部高等学校普通科美術陶芸コースを卒業。土、石、水、小麦粉などを素材に、室内外を問わず、国内外の様々な場所で絵を描いてきた。代表シリーズに、マスキングテープに耐水性マーカーで植物を描く「マスキングプラント」や、滞在制作を行う各地で採取した土と水を用いて動物や植物を描く「泥絵」など。「泥絵」シリーズでは、10メートルを超える大作を立て続けに発表してきた。そのほかにはアスファルトの道路で使用される白線素材のシートから動植物のかたちを切り出し、バーナーで焼き付けることで作品化する「植物になった白線」などがある。個展に「淺井裕介 ― 絵の種 土の旅」(彫刻の森美術館、2015)。これまで参加した主な展覧会に、越後妻有アートトリエンナーレ2015(新潟県)、「生きとし生けるもの」(ヴァンジ彫刻庭園美術館、2016)、「瀬戸内国際芸術祭」(犬島、2013〜16)。by 美手帖

解りやすい解説 http://www.acac-aomori.jp/work/2012-1/ by国際芸術センター青森

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《泥絵・起源山》の一部、2012 写真:山本糾

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《泥絵・起源山》の一部、2012年 写真:山本糾

 

◆遠藤一郎 えんどういちろう 1979 -

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"静岡県生まれ。「GO FOR FUTURE」をキーワードに活動を展開。黄色い車体にネイビーの文字で「未来へ」と書かれた「未来へ号」で車上生活を送りながら全国を訪ね、行く先々で出会った人々に夢を書いてもらうなど、「未来美術家」としての活動を行う。2012年からは、日本列島を縦断し、走行の軌跡を通して日本地図上にポジティブなメッセージを描き出すプロジェクト「RAINBOW JAPAN」や、カッパに扮して各地に出没する「カッパ師匠」としての活動も継続。水戸芸術館現代美術センターで開催された「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」(2009-10)の関連企画「愛と平和と未来のために」では、気候を問わず46日間にわたってほふく前進を行った。こうした作品をはじめ、叫びながら柱に身体を打ち付けることを繰り返す、自分の身体を感電させて発生した音を、楽器にしてバンドに参加するなど、身体を存分に活用したパフォーマンスも行う。これまで参加した主な展覧会に「六本木アートナイト2012」(六本木ヒルズアリーナ)など。"by 美手帖

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いずれも公式HPより

 

◆坂口 恭平 さかぐち きょうへい 1978年4月13日 

 建築家、作家、アーティスト。熊本県出身

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"1978年熊本県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。卒論をもとに日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を2004年に刊行。その後、『TOKYO 0円ハウス 0円生活』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』を発表し、「都市の幸」をもとに金を使わず生きる術を示す。東日本大震災後の2011年5月、故郷熊本で独立国家の樹立を宣言し、新政府総理大臣に就任。その経緯と思想を綴った『独立国家のつくりかた』が話題となった。その他に、『幻年時代』『徘徊タクシー』『現実宿り』など著書多数。文筆のほか、音楽、美術の分野でも多彩な活動を行う。"by 新潮社

 

◆エリイ

Chim↑Pom所属

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◆P144 東山魁夷 ひがしやま かいい 1908年(明治41年)7月8日 - 1999年5月6日

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 "東山魁夷は1908年神奈川県生まれ。本名は新吉。31年に東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業して研究科に進み、33年から35年までドイツに留学した。留学後は太平洋戦争で応召し熊本で終戦を迎える。戦後の47年、第3回日展で《残照》が特選に選ばれ、政府買い上げとなった。50年から日展審査員となり、同年にまっすぐ伸びた道を描いた代表作《道》を発表する。第11回日展出品作《光昏(こうこん)》で56年に日本芸術院賞受賞。65年に日本芸術院会員、日展理事となり、69年に文化勲章を受章した。74年に日展理事長。73年からは、唐招提寺御影堂障壁画の制作を開始し、81年に完成。87年には所蔵作を長野県に寄贈し、これをもとに90年に長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館した。主な著書に『わが遍歴の山河』『風景との対話』など。99年に老衰で死去。従三位、勲一等瑞宝章が贈られた。2018年には東京で10年ぶり、京都では30年ぶりとなる大回顧展「生誕110年 東山魁夷展」が国立新美術館京都国立近代美術館で開催。"by美手帖

解説と作品が掲載されているhttp://happy60s.net/2017/09/30/higashiyamakaii-momat/

 

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東山魁夷《残照》1947年 東京国立近代美術館

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東山魁夷《道》1950年 東京国立近代美術館

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東山魁夷《緑響く》1982年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵

 

◆P145 ロバート・メイプルソープ Robert Mapplethorpe、1946年11月4日 -1989年3月9日 写真家

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 "大規模で高度に様式化されたモノクロームの形式で論議を起こすような露骨な写真表現を行う。著名人のポートレイト、男性と女性のヌード、セルフポートレイト、花の静物画などの主題に焦点を当てた作品がよく知られている。

最も社会的に物議を醸し出した作品は、ニューヨークの1960年代後半から1970年代にかけてのアンダーグラウンドBGSM(ボンテージ・ディシプリンサディズムマゾヒズム)シーンに焦点を当てた作品である。

彼の作品におけるホモエロティシズムは公費購入に値する芸術として適切かどうかという論争をアメリカ全土に巻き起こした。

日本においてメープルソープの名前は、1994年にメープルソープの写真集「MAPPLETHORPE」の日本語版を日本で刊行し、その写真集を持参して渡米し、日本へ帰国した際に税関から輸入禁制品該当通知を受けた事件とその訴訟で話題になった。"by artpedia

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Lady, Lisa Lyon 1983年

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《Derrick Cross》1986年

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《Calla Lily》1987年

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アンディ・ウォーホル》1986年