所感

生活の所感を投稿します。

動物化するポストモダン

東浩紀氏の著作『動物化するポストモダン』について所感

ポストモダン期~現在までのインターネット文化の本質をよく捉えている。

△細部は荒削りであるし、アマゾンや一般のブログの批評にある通り第三章はどうも強引な気がする。その荒さゆえオタク文化を構成するオタク自身からの「お前には何がわかる」と反発も理解できる。

 趣向はあくまで巨大なポストモダン全体像の推測にあり、ポストモダン期に発生したオタク文化を標本として取り出したに過ぎない。計量的なアプローチである。

 

ポストモダンに置いては絶対的な存在・物語の権威が失墜し、その代替としてデータベースとそこから発生するシミュラークルを苦肉の策で消費するという。

例えば、戦後、絶対的な権威である天皇(ルール)が失せ、拠り所を失った人々は不特定多数によるある文化クラスタが構築した文化の不可視で巨大なデータベースを小さな物語を通して見ることにより絶対的な拠り所の代替としているという意であろう。

インターネット文化ではグローバル規模で言えばMemeやSCP財団、日本で言えば東方、例のアレ(野獣先輩やチャー研、他のニコニコ的MAD作品)なども作家の不在、あるいは限定的な影響力下でのデータベース+シミュラークルによる生産・消費の枠組みにきっちりと収まり、現代オタク文化の本質をよく捉えていると思う。

 

特に興味深かったものが、野獣先輩語録によるコミュニケーションを説明できる以下の文言である。

「シンボルの交換を中心とした深さを欠いたコミュニケーションと、限定された情報空間の内部で辛うじて維持される自己像」 「かつてよりも希薄なものとなったコミュニケーション前提を、いわば人為的に埋め合わせるため」

 

この文章も荒削りなので編集・追記予定