【小説】児玉マキの葛藤
「依頼なんだろ、僕を殺してよ」
藤井裕迫(ふじいゆうさこ)は弾切れした拳銃を力なく落とした。一歩前に進み、手足を広げ、仁王立ちする。ビルの屋上には壁面に吹き付けられた風が巻き上がり、ビル風となってその男のジャケットをはためかせた。5メートルの距離を空け、男と対立するのは児玉マキ。片腕で伸ばした拳銃の銃口は男の額に向けられている。しかしその銃口は、まるで本心のバロメーターかのように僅かに震えている。
「さあ、僕を殺してよ」
バン!と破裂音が響いた。だが、男は依然として立っている。
「とかいう人は生かしておく主義なの」
それは初めての未遂だった。
・・・
「児玉マキさん、ですよね」
児玉マキは大学からの帰り道、後方から話しかけられた。彼女はすぐさま警戒し、拳銃を隠してあるコートの内ポケットに手を伸ばしつつ振り返った。長年のヒット・ガール生活で染み着いた癖だ。不意に命を奪うのが生業なら、また不意に命を奪われるというのもカルマである。内ポケットの中で拳銃の安全装置を解除した。
「そうですけど、あたしに何の用ですか?」
「俺、北俊作と言います。依頼を受けてくれると知り合い伝手に聞いて」
そういう男の風貌はヒップホップでもやっていそうなルーズなパンツにこれまたルーズなロングT、そしてつばが真っ直ぐのキャップをかぶっていた。ピアスなどの装飾具は見つからず、その男の密かな良心性というものをマキは感じた。
「そうね、けれどそれも報酬次第よ。路上というのも難だし、場所を変えましょうか。この時間でもやってるこういった話にもってこいのバーを知ってるから」
密かに拳銃の安全装置を掛けると、マキは来た方向と逆に歩き出す。北も慌ててその後を追う。1.5メートルほどの距離を空けて二人は併走する。250メートルほど歩いた所に、店内が見えない重厚な扉のバーの前に立つ。
「なんだか怖そうな店ですね」
「言っておくけど、割り勘よ。お金はあるんでしょうね」
マキは扉を開けると掛札をOPENからCLOSEDに反転させる。
「マスター、ちょっと貸切でお願いね、あと、いつものを二人分」
「かしこまりました」
そういうとバーテンダーはジンとベルモットを取り出し、器用な手さばきで冷えた容器をシェイクする。
「それで、依頼って何?」
冷えたグラスにマティーニが注がれ、オリーブが添えられた。
・・・
男は拳銃を片手に神社を走り抜けている。それは追われているからだ。追うのは児玉マキ。暗殺が失敗し、ターゲットに察知されたのではない。彼女の意思でそうさせたのだった。20メートルの距離で発砲するが、動くターゲットには命中しない。空マガジンをスカートのポケットに入れ、コートから素早く次のマガジンを取り出すと再装填した。男も撃ち返すが、マキは素早く木の陰に身を隠した。
神社を抜け雑居ビル群に入る。男を追い非常階段を駆け上ると屋上に出た。
「僕たち昔は愛し合っていたじゃないか、君は依頼こそが人生のすべてなのかい。まあいいや。依頼なんだろ、僕を殺してよ」
藤井裕迫は弾切れした拳銃を力なく落とした。