【小説】My Girlfriend,Who Is ①
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近未来、サイバネティック技術が急速に発達し、かつて携帯電話やスマートフォン、スマートグラスといった類いの外付けデバイスはオーギュメント社による人体に流れる微弱な電流を電源に、手のひらの上にホログラフィック展開されるスマート・リングに急速に置き換わり、かつてハードウェアで圧倒的シェアを誇ったApple社は経済史上に名を刻むのみである。
とりわけホットな話題なのが、ヒューマンリソース社が20年ほど前に開発した脳髄から精神を抽出する技術を応用した、精神取引だ。そう、現代では金銭によってありとあらゆる肉体を相互合意の上交換することができる。
何もリッチな奴らが良い思いをするだけではない、貧困に喘ぐ人々が新たな「体を売る」手段を手にし、結果的に富は再配分される。リベラリズムの理想形とも言える取引制度である。
生まれる肉体の造形は選ぶことができない。リッチで醜い奴―貧乏で美しい奴が合意のもと取引が行われる。新たな市場が生まれ、より「商品」の市場が増え流動的になることはリベラリズムに於いては大変よろしい事だろう。
しかし、人間の認知機能には限界があるらしく、老いても永遠に生きようとした奴がいたが、重篤な認知障害となり生きた死人となるらしい。
ヒューマンリソース社の熱烈なプロモーションと営業支店の拡大により、一般市民に普及した「精神取引」は、IDチェンジと軽い響きのする名で呼ばれ、戸籍上の名前を変える程度の倫理感に落ち着き、みんながみんなやっているわけではないが、やる奴はやるといった具合だろうか。
俺は決して裕福ではないがぼちぼちの生活を営む26歳のスマート・リングに関するアプリケーションを受託製作するフリーランサーで、今は古着に関するサブスクリプションアプリを製作している。成果に対する報酬が発生する業務形態であり、割かし時間には余裕がある。
そして、町の不動産に勤務する2つ年下の彼女がいる。結局のところ、これだけテクノロジーが発達したとしても、土地と建物を巡る狭い島国の陣取り合戦というのは無くならないのである。
彼女は身長は150センチくらい、くせ毛でショートカット、目はクリっと二重で、主張が強い胸部、柔らかそうな外見でスリムな方ではないと思う。性格はその胸に見合う主張の強さでややキツいかもしれない。同じ大学のサークルの後輩で、彼女が大学出る時あたりに付き合い、2年半ほどになる。
趣味が合うので美術館に行き、帰りにはフレンチ、イタリアンなどを食べるというデートが定番だ。美術と言うものは素晴らしい。"文明"は日進月歩で進化し、文明という文脈上で"製作"された仕事は時の流れと共に価値が逓減し、博物館で展示されるような時代を物語る記念碑的制作物といった極僅かなものを除き、時代の波へ飲まれ人々の記憶から忘れ去られる。
一方で"文化"の文脈で"制作"された仕事はタイムレスなもので、例え時代が巡ろうがその価値は永遠なのである。かつてコンテンポラリー・アートと呼ばれたジェフ・クーンズ、村上隆、デミアン・ハーストらは今では21世紀美術の歴史でしか語られないが、その制作物に込められた概念は今でも色褪せない。フレンチ、イタリアン、エスニック料理なども、完全に近いグローバリズム化された現代でも、食"文化"として等しく生き残っている。
さて、時間に割とルーズな俺と、そのあたりキチっとした彼女との間で軽い痴話げんかは良くあるものの、別れる別れないまでというところまでは行かず、特にこれと言った問題のない2年半だった。というのもまず俺は彼女の事が好きだし、待ち合わせの遅刻は必ず埋め合わせをしていた。
「よう」
久々に世田谷にある彼女のアパートへ中野から訪れた俺はいつも通りの挨拶をする。家主がいてもいなくてもだ。明りが付いていなかったので合鍵で勝手に入り、手持無沙汰となった俺はテレビを壁面に投射し、スマート・リングのホログラフィックで他愛のないニュースを眺める。
相変わらず、流しにはつけ置きの皿もないし、化粧品の類が散らばってることも無し、服も綺麗にハンガーに掛けられていて、相変わらずまるで俺の部屋の対極にある整理整頓された部屋。俺は掃除が好きではない。現状のメインテインという保守的な動作であり、なんらかの報酬(ゲイン)を得られる訳じゃないからだ。
「遅いな」
整頓された部屋に一人呟く。今日のシフトだとそろそろ家についてもおかしくない頃合いなのだが、LiNEにも連絡がない。しかし、彼女の部屋で待つというのも悪くはない。軽く夕食を振舞おうとペンネを茹でて待つことにした。ほどなくして、
「もうすぐつく」
との連絡が入り、数分の間を開けてドアが空いた。彼女が帰ってきた。
「よう、おかえり、久しぶりじゃん、朋子(トモコ)」
「た、ただいま」
控え目な声だ。
ともあれ帰宅を迎えられて少し嬉しさが込み上がる。
「遅かったじゃん」
「ち、ちょっと、部署で契約資料に関して揉めてて」
まだ紙媒体でやってるのか。
「ふーん」
「ペンネ、茹でてたからボンゴレビアンコのソース付けて食べよ」
「あ、ありがとう」
いつになく丁寧な言葉づかいな気がする。
俺の口癖である、
「最近どうよ」
「繁忙期は過ぎたから、そこまで大変じゃないかも」
「ふーん」
「そっちはどう?」
「アプリのUIは出来てるんだ。あとは決済の部分を書き上げればひと段落つくかな」
「そうなんだ」
買ってきた買い物袋からパスタソースのビンを取り出し、ちょうどゆで上がったペンネに振りかける。食事中も何となく他人と食事しているような空気感がある、話題を振っても軽い相槌の後オークワード・サイレンスが度々訪れる。何なんだ、この違和感は。久しぶりにあったからだろうか? かなりくだけた言葉づかいの間柄だし、もっと打ち解けたフランクな雰囲気があっておかしくないのだが。
なんとなくよそよそしい食事を終え、壁面投射型のバラエティをBGMにしっくりこない空気感は持続する。心なしか芸能人のトークが空虚に響く。何やら精神取引についての話題らしい、改めて倫理はどうだの、事後の問題はどうだのと聞き飽きた話題が繰り返されている。俺にしてみれば、新興の芸能人は、建て前は反対している精神取引だがみんなやってるんじゃないか? そうでもなければ若手でここまで美男美女は揃わないだろう。彼女はテレビのそういった話題について妙に聞きっているような気がする。俺は問い掛けてみた。
「どう思う?」
「べ、別に、いいんじゃないかな、自由だし」
「ふーん」
他愛のないテレビを受け流すことと、何となく毎日ログインしているホログラフィック・ゲーム弄りの後、互いにシャワーを浴びながら歯磨きをし、時刻23時を回った頃、俺はおもむろに彼女に抱きついた。久々に合うカップルが夜に行うことと言えば皆が承知の上である。俺の背中に回した手はまずゆっくりと髪、首、うなじを這い、徐々に下降しブラジャーのホックの位置、腰へと辿る。腰の当りで一服した俺の右手のY軸は、更に下落しそこまで到達した。大分ご無沙汰だったのか、緊張しているのだろうか? 到達した瞬間、彼女の強張りはさらに増した。
「なあ・・・」
そういうことだ。そういうことだろう。
俺は頭の位置を後退させ、彼女と向き合った。俺が好きなのはそのクリクリした目。赤いアイシャドーを描いたうさぎメイクが好みだが、メイクを落とした生の目も愛せる。目は重要なモチーフなのだ。どういう原理が働くのか、対象への視線の動きをくぎ付けにするのは目。目はダダイストの重要モチーフであるし、サブカルチャー、アニメ的造形の象徴も過剰にデフォルメされた目である。
目線を合わせたまま俺と彼女の距離は縮まっていゆき、ゼロとなった瞬間に、本日、10月21日、22時34分、問題が起こった。全ての違和感が収束された。これはいつものキスじゃない。
「朋子、お前は誰なんだ!」
「ふーん」
23時を30分回った頃、換気扇の下で電子タバコを一服しながらいつもの生返事を返す。朋子は朋子の外見をした全くの別人であったのだ。
「朋子さんにどうしてもと頼まれて、しばらく代わりになってくれって・・・ IDチェンジの手数料と、しばらく仕事を休むので、それなりのお金も朋子さんが出してくれたんです」
それは、中身は北里愛理(キタサト・エリ)という人物で、同じく世田谷に住み、携帯キャリアの販売店に勤務する23歳の女性、朋子とは高校時代からの知り合いだという。
「それで、住所と大まかに帰宅する時間を教えてもらって、それでしばらく生活してくれと、彼氏がいるけどあんまりあってないから大丈夫とのことで」
「理由は聞いてないんですか」
「とにかく、どうしてもというので・・・」
朋子の顔で敬語を使われるのは非常に違和感がある。
普及したと言えども理由もなしに利用するのはよほど人相を変えて逃げる都合があるのか、何か重大な問題を抱えているに違いないことは確かだ。
「朋子はどこにいるのかわからないんですか?」
「はい、気が付いたら先にお店からいなくなってて」
「いつ頃かもわからないんですか?」
「はい、すみません・・・」
「何かやっかい事だな、これは」
俺が一月ぶりに唐突にアパートで訪れたことは完全にイレギュラーだったらしい。よほど重大にも拘らず俺に何も連絡をくれないとはどういうことなんだ。電子タバコの2本目を点火させたところで思い立つ。
「愛理さん、でしたっけ、付いて来てください。ここから電車で10分ほどの渋谷の繁華街の所に朋子の地元の知り合いで、長い付き合いの人が店長をやってるカラオケ屋があります。今日も多分いるでしょう、行って見ましょう。帰りは歩いて帰れます」
「え、今からですか?」
「今からです、ほら、朋子の外見なので手ぐらい繋がせてくださいよ」
俺は手がかりを頼りに見慣れた初対面と繁華街へと向かった・・・。