【小説】My Girlfriend,Who Is ②
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「僕は鳩羽翔太と言います」
最寄りの明大前駅まで歩く10分の間、自己紹介をし、愛理さんについて軽く話を聞いた。吉祥寺の携帯キャリア店に勤めている事、高校時代は吹奏楽部で共にクラリネットのパートであったこと、朋子とは良く映画を観たり食事する仲ということ、ちょっと突っ込んだ話では彼氏はいない事。歩きながら朋子の回線にも通話を掛けたがやはり繋がらない。
「やっぱり違和感がありますね、だって、明らかに朋子の外見なのに違う人なんて、朋子には会うのは久々ですが、やっぱり歩き方も違う気がします」
「私も朋子の体になって、違和感はありますよ。私、身長166cmあったのでこれだけ身長に差があると目線が低くて、景色が全然変わって見えます」
なるほど、異なる視点、ね・・・。
駅に到着すると、旧態依然としてある電車に乗ることにした。テクノロジーが発達しても物理的な物事というのは相変わらずなのだ。今は完全に電気自動車が覇権を取っているが、空を飛ぶ自動車というのは存在しない。物理法則というものは存在するものに対して限界点を定める。
「次は下北沢、下北沢でございます」
下北沢に到着すると楽器を持ったバンドマンの集団が乗ってきた。
「とも、いや、愛理さんは今は楽器やったりしないんですか」
「練習場所に困ってて。マンションなので吹く楽器はできないです」
「ふーん、そうなんですか・・・」
断続的に音連れる気まずい休符はバンドマンの話し声と電車の動作音でいくらか緩和された。"見慣て"いるとは言え初対面の人と二人きりで話すというのも限界がある。電車は東大前、神泉と通過していく。渋谷に向かうにつれて車内人がまばらになった。
「次は渋谷、渋谷でございます」
「行きますか」
すっかり手をつなぐ気も無くなった俺は、彼女と心理的距離がそのまま反映したかのような体の距離を空け、改札くぐる。改札と言っても空港のゲートのようなもので、通り抜けるだけでスマート・リングに紐づけられた口座から自動的に運賃が差し引かれる。
「駅を降りて左に曲がって、道玄坂を5分ほど登った所です。何度か行ったことあるのでわかります」
先導する俺と、微妙な距離を空けて歩く朋子―愛理さん―。いつもなら横に並んで手をつなぐのだが。
カラオケチェーン展開を示唆する青く発光する看板はどの駅前にもあるし、ここ渋谷道玄坂にも無いわけが無かった。俺達は自動ドアをくぐるとスタッフが話しかけてきた。
「お二人でのご利用ですか?」
「いや、店長に用があって。店長の相川さんは居ますか」
相川というのは朋子の元カレでもあり、俺は関知していないが今でもたまに朋子と連絡を取り合ってるらしい。俺とは交友があり冷やかしに訪れたこともある。渋谷に来た際は相川の休憩時間のついでに世間話もする仲だ。
「ちょうどいま夜勤前の休憩に行ってます」
「わかりました」
相川の回線に通話を掛けるとすぐに繋がった。スマート・リングを耳に当てる。
『よう、相川』
『よーう、鳩羽じゃねえか』
『いま、お前の店に来てるんだけど朋子に関して少し問題があって』
『なんだ、痴話げんかか?』
『そんなんじゃねえ、深刻なんだ。急に朋子の中身が別人になってて、今朋子といるんだけど別人なんだよ』
『は、マジ?』
『大マジだ。ちょっと話をしよう、お前今どこにいるよ』
『近くのコンビニにいる、今からいつもの路地裏いくわ』
『じゃあそこで』
俺は通話回線を閉じると目的地へ向かった。24時近くの渋谷となると人が閑散とし、若者が飲み散らかした空き缶、ペットボトル、捨て去ったゴミに溢れている。こういったミッドナイトの混沌とした繁華街というものは不変のものらしい。先に路地裏に到着するとあたりに描かれた落書き(グラフィティ)に目をやる。
"ALL WE NEED IS LOVE"
大よそ判別不可能なエッジの効いた文体は辛うじてそう読める。鳩が猫を抱きかかえるような絵も添えてあり、これがいかんせん俺の審美欲をくすぐった。
「とも、愛理さん、すみません。一服いいですか」
「私はそこまでタバコ嫌いではないので、どうぞ」
電子タバコのソケットにシガレットを挿入し電源を入れる。ほどなくして本体が振動すると電子タバコの質量の薄い煙を深く吸い込んだ。
落書きはカッコよく言えばグラフィティ・アートと呼ばれ、それなりに美術的批評の対象になるものだ。しばらく関心して眺めていると相川が到着した。
「よーう、鳩羽。朋子? 久しぶり」
「いや、今は北里愛理さんらしい」
「なんだかこんがらがってくるな」
相川も俺と同じように電子タバコを吹かし始める。話をする準備OKという合図だ。俺は3分ほど、愛理さんから聞いた要件を掻い摘んで相川に説明した。
「ほんとに朋子じゃないのか?」
「ああ、俺は確証がある。申し訳ない事だけど、キスしたんだ、そしたら違って」
「私もすみません・・・。そうです、北里愛理といいます」
「相川、お前は朋子から何か聞いてないのか?」
「いや、何も、お前の方が知ってるんじゃないか」
「それがさっぱりなんだよ、昨日まで普通に連絡していた朋子が急に愛理さんに替わって、俺もこんがらがってる」
余り期待していなかったが見込みなしか。振り出しに戻った。これで手がかりが無くなった。
「鳩羽、こんなんだけど最近調子どうなのよ」
「ぼちぼちでやってるよ」
それから俺達は近況など他愛のない話をして、カラオケ屋に戻っていく相川を横目に分かれた。
もう終電も無い時間だが、このまま帰るのも億劫なので近くのバーで愛理さんと話すことにした。
そのバーは渋谷らしく歩いていた近くのテナント5Fに位置しており、エレベーターで上がるとドア前にはハイケネンのネオンが輝き、いかにもショットバーという外見だった。無難に飲むならここが良いだろう。
店内はソファ席が1席、カウンターに7席ある。俺と愛理さんはカウンターに座った。
俺は必ず一杯目はマティーニを決めている。グラス、オリーブに詰まるピメントを見れば気を遣う店か判断できるし、ある種のベンチマークなのだ。
「マティーニを下さい」
「こういうとこあんまり来たことなくて、何がいいのかわからなくて」
聞いていたバーテンはモスコミュールを作りましょうか、と提案し、愛理さんは頷いた。それは付き合いたての頃の朋子を見る様で新鮮味があった。当時は今と変わらず主張が強くてサバサバした性格であったが、ディナーの時のテーブルマナーはおぼつかなかったし、美術館へ行った際も毎回俺が音声ガイドの代わりになって解説してた。ふと、初めての夜を思い出す。あれは池袋のラブホテルだっただろうか。デート終わりにアニメイト前の公園で語らうとどっちからともなく人目を気にせずキスをして、そのまま手を繋いだまま北の方へ向かった。池袋の北はチャイナ・タウンでもあるが一角はカップルの為の街になっている。俺達は城の様なホテルに消えてゆくカップル達と同化するように手近のホテルに入った。
「どうぞ」
バーテンがグラスをコースターの上に置くと、消えて鈍く曇ったグラスにマティーニ注ぎ、ピンに刺さったオリーブを入れた。次いで愛理さんの所にモスコミュールを差しだす。
「ひとまずは、乾杯、その、朋子に?」
「そうかもですね、乾杯」
オリーブを一咬みしてマティーニを煽ると俺はみだりがましい考えを思いつく。今の朋子―愛理さんだ―は、見た目は朋子そのまんまなんだ。性愛の対象はどっちなんだろう。その豊かな体か、それとも精神だろうか。俺は今の朋子を抱けるのだろうか。構造主義的に考えると、環境、肉体、動作によりその人物は規定されていくという。朋子の体になった愛理さんは朋子のようになるのだろうか、いや、そうはならないだろう。そうなると「我思う」、心が先なのか・・・思案したが、思考が複雑化することに疲れた俺はそこで考えをやめた。
「愛理さんは今どこにお住まいなんですか?」
「東松原と松原駅の中間のあたりです」
「そうなると朋子の部屋と近いですね、どこでIDチェンジしたんですか?」
「場所は新宿東口で、使ったことないんですけどMRIみたいなものが2つ並んでいて、麻酔の様なもので眠らされて、気づいたら終わっていました」
「新宿か・・・。朋子にとってあまりいい話じゃないかもしれないですね」
新宿でIDチェンジ、良くある話だ。ホストクラブにつぎ込んだツケの支払を迫られた挙句逃亡のためのIDチェンジ、入れ墨だらけのヤクザが更生のため質の悪い体と交換・・・いずれもアンダーグラウンドな領域で少なくともいい話ではない。俺が躍起になっているのも良からぬものを感じているからだ。
「そうなんです、全く連絡も取れないし、心配で」
マティーニを煽る。ジンの辛みが眠気のある頭に響く。オリーブの塩っぽさがまた次の一口を誘う。
俺は朋子の動機について考える。金銭がらみではなさそうだし、ヤクザ絡みでもなさそうだ。少なくとも俺が関知する限りでは。別人になる必要があったとしても、わざわざ友人に迷惑を掛けることはしないだろう。すると全くの謎になる。なぜ、何の目的で? 現状の手がかりでは全く全体像見えてこない。
「愛理さん、どんな外見だったんですか?写真あったら見せてくださいよ」
「いたって普通ですよ」
そういって彼女はホログラフを起動させ、いくつかのセルフィーを表示した。キャリア・ウーマンのような黒縁眼鏡と黒い髪、長さはセミロングぐらいだろうか、一重だけど大き目な目、ワンピースが好みなのだろうか、その写真が多い。隣にいる友人と比較すると頭半個分大きい。ブラウンのアイシャドウ。携帯キャリアの写真ではスーツを着ており、接客業だからか身だしなみはとても整っている印象を受ける。なるほど、いそうな人だな、と思った。
「これが今の朋子・・・全く想像できません」
会ったとしても俺の方が戸惑ってしまいそうだ。とても隣にいて手を繋いでデートするような考えには及ばない。マティーニを煽り、グラスを空にした。チェイサーを飲み欲し、ジャケットを羽織る。
「そろそろ行きましょうか、ここは奢ります。もう終電もないしタクシーにしましょう。」
東松原で彼女を下ろし、俺はそのまま朋子の部屋で一夜を明かすことにした。タクシー代は2,840円だった。
ベッドで目覚め、隣の空白さにある種の淋しさを覚えた。
ホログラフを起動させるとある一通のメールに目が行った。