所感

生活の所感を投稿します。

【小説】My Girlfriend,Who Is ④

前回

「海と鳥と言えば、近場で言えば横浜、みなとみらいじゃないか? お前達が良く行ってたあの公園なんかどうだろう」

「なるほど。新田、お前にしては良い線いってるかもしれない。たしかに手がかりはこれしかないような気もする・・・。今から行けるのか?」

 確かに、朋子との思い出を回想すると、横浜には多くの思い出がある。朋子の実家が近い事もあって、初デートも港の見える丘公園で写真を取ったり、赤レンガ倉庫でディナーを食べた。そして、モニュメントが連なる像の鼻公園の先端で告白したっけ・・・種はわからないが鳥が海上を舞うのもそこしかない。

「横浜は車だとしんどいものがある。渋谷駅まで送るからあとはお前と愛理さんに任せる」

「わかった、その前に3人でランチしてからだな。もう13時半になるし、腹ごしらえをしよう」

 

 展示作品群を背景にMOTから出ると俺達は近くのフルバリというカレー屋でランチを食べることにした。店はネパール人かインド人か判別ができないが、東南アジア系のスタッフがカタコトで仕切っている。店の売りはチーズナンらしく、とりあえず伝わるように俺はゆっくりとした発音でチーズナンとキーマカレーをオーダーする。

「新田と愛理さんはどうしますか」

「じゃあわたしは日替わりメニューのランチセットで」

「俺もそれで」

 展示の感想を語らっている内に、サラダとヨーグルトが付いたセットが新田と愛理さんに、いかにも上手そうなバター香るチーズナンが俺に提供された。どうやらチェーン展開しているらしく、他系列店のチラシが目に入る。ふと昔、ネパール人、インド人らと交流があった頃を思い出す。彼らは村単位で東京に出稼ぎに来ており、コミューンの様な生活共同体を形成するという。特に錦糸町を周辺として大きなコミューンがあり、本国の家族に店舗の売上を送金しているという。俺はネパール人から見せてもらった家族の写真を思い出す。家族の後ろに写る白いアール・デコのような装飾の付いた建物が印象的で、東京―ネパール間では大きな購買力の差があることを示唆していた。

 

 その後は特に会話もなく3人は黙々と食べ終わると、別々に会計を済ませて新田の車に乗り込む。俺はまたスマートリングを新田の車に接続すると、大森靖子を再びかける。お前またそれかよ、という新田の小声は聞こえないフリをした。相変わらずの安全運転で、再びそびえ立つ蟻塚群地域を超え、渋谷に出る。開館して30年ほど経ってやや建物が陳腐化したヒカリエ付近で俺と愛理さんは降りた。

「新田、サンキューな」

「おう、また進展あったら連絡してくれ」

「愛理さん、東横線で行きましょう。急行なら40分も掛からなかったと思います。みなとみらいで降りて少し歩いたところです」

 渋谷の駅は相変わらず人でごった返しており、俺と愛理さんはくっつくようにして移動した。朋子のやわらかい二の腕俺の腕に当たったような気がした。東横線の急行に乗り込むと、渋谷で降りる人とちょうど入れ違いになり、二人分の座席が空いたのでそこに座った。しばらくすると走行音をBGMに愛理さんが話しかけてきた。

「ふう、なんだか大移動して長い一日になりそうですね」

「横浜に手がかりがあればいいんですけど・・・。俺個人的にはなかなか思い入れのある場所だし」

「わたしも実家が神奈川なので横浜には良く行っていました、土地勘もあるし、助けに慣れると思います。山下公園なんかは元彼とも来ました」

「愛理さんは今好きな人とかいなかったんですか?」

「そうですねえ、会社の男性の同期と遊びにいくことはありましたけど、それ以上は全然・・・。 実はなんですけど、父の会社が最近倒産してしまって、そっちが大変で、どころじゃないというのが本音です」

「それはそれは・・・。どんな会社だったんですか?」

「家電の卸売でしたけど、情勢が変わって思うように仕入れが出来なくて、資金繰りに困ってたみたいです」

「ふーん、なるほど・・・。よく朋子と精神取引しましたね、そんな状況で」

「朋子さんから手間賃って言われて給料4か月分くらいのお金は貰ったので、それならいいかと思って」

「ますます朋子が消えた謎は深まるなあ」

『次は横浜、横浜でございます』

 横浜に到着した俺達は、山下公園へ行くためにそのまま東横線を乗り続け、みなとみらい線直通の元町・中華街で降りることにした。横浜駅で車内の人の出入りあり、すっかり空席が目立つ。16時半頃、終着駅で降りる頃にはがらんとしていた。さて、行きましょうとつい愛理さん―朋子の姿―の手を握ってしまう。

「あ、すみません」

「えっと・・・」

「ごめんなさい、朋子の姿なので、つい」

 流石に手を繋いだだけで赤面するような年頃もでもなく、何とも言えない雰囲気となる。電車の揺れでつい女性にぶつかってしまったような気まずさを感じた。つい手が出てしまうほど俺は朋子の事が好きだったのだ。1メートルほどの距離を空け歩き、山下公園へ到着するととりあえず当たりを見渡すが、朋子ー愛理さんの姿―の存在は確認できない。

「海と鳥と言えばここですが、どうやら居そうにないですね。ヒントみたいなものがないか探してみましょう」

 俺達は山下公園を一周し、一面華やかなバラ園、遺跡のような「世界の広場」を通過する。連れたって歩く朋子の姿がデジャブとしてかつての日々を想起させる。このややうつむいた姿勢はどうみたって朋子そのものなのだ。

「朋子・・・」

 そこにいるけどもそこにいない虚無感、俺は呟く。恐らく、朋子とは、いや、人というシステムは、肉体というハードウェアと精神というソフトウェアが相互に作用しある種の不確実性を伴う"現象"なのだ。俺は精神だけの朋子を愛せるだろうか。俺は肉体だけの朋子を愛せるだろうか。直接的に唯物論と唯心論的な問題が孕む。我思うから我があるのか、肉体という構造に精神は宿るのか。性愛の対象とはどちらになるのだろうか。俺が求めているものはフィジカルとしての朋子なのか、プラトニックな朋子なのか。

 追いかけっこをする子ども、ベンチに座る老夫婦、海からの温もりのある風がいっしょくたに包み込む。包み込んだ風はなつかしさ含む回想を伴って発散する。俺は一歩踏み出し、海に面する手すりに手を掛ける。周辺は工業化されているが、それでもわずかに香る自然を感じられた。辺りが薄暗くなってきた頃、俺と愛理さんはそのまま海沿いに歩き、像の鼻パークへ移動する。像の鼻パークには弧を描くように配置されたモニュメント達に囲まれて、モニュメントの終着点は海へ突き出ている。俺達は像の鼻、その鼻部分に立ち尽くし、風に取り囲まれた。人影はなく、電灯と月明かりだけが俺達に舞台の主役かのようにスポットを当てている。波音と幾度かの強い風が過ぎ去った。

「こうしていると、カップルみたいですね。朋子さんの気持ちが分かるような気がします」

 カップル。性愛、エロス、死と同じく人類の永遠のテーマ。波風とスポットを浴びた俺は不意に手を伸ばす。伸ばした右手が朋子の左手を掴むと引き寄せた。

 「え、何を・・・」

 唯物的側面、50%という不完全なキスで朋子の、潤って厚みのある唇を塞ぐ。

 「朋子・・・」

 でも、"想像"というヴァーチャルな付加分で唯心的側面は埋め合わせられるのではないか。しかし、想像による付加で100%を超えた時、愛理さんが排除されることを意味する。けれども俺はそんなことはどうでもよかった。朋子を欲していたのだ。

 

 沈黙が世界を支配した。

 その沈黙を破ったのは聴こえてくる足音と、息を呑む愛理さんの声、そして現れたのは朋子の姿だった。