所感

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アートの価値形成プロセスの考察2

■研究の動機・問題提起

 日本に特有と言われる貸しギャラリー制度など、無名の作家であっても作品発表の場は確保されており、一定のインフラ水準は保たれていると言えるだろう。しかし、貸しギャラリーでの作品発表に留まらず、現代美術指向の若手アーティストとして一から美術的価値・経済的価値(作品の交換価値)を形成していくとなると、ギャラリー・批評家・キュレーターなどの美術関係主体が価値形成にあたり、どのように働きかけるか具体的に明らかになっていない。

 そこで本稿ではアーティスト固有の美術的価値(=ブランド性)基準を定義し、各美術関係主体がどのような価値形成の性質を持つか明らかにしたうえで、作品の制作以外の部分で作家個人を対象としたマネジメント論を展開し、各主体にどのように働きかければ良いかを考察する。

 また、邦国においては、ドメスティックなアーティストのキャリアとして、日展、二科展などの公募団体に属し、年功序列的に会員、評議員、理事となるようなキャリア形成や、デザイン的要素を多分に含むインテリアアート作家としてのキャリアがあるが、それらを除外する。企画画廊(以下、商業ギャラリーとする)に属し・または属することを目的とするグローバルな現代美術指向のアーティストにのみ焦点を当てる。

 

■研究レビュー

 若林(2010)は村上隆、小山登美夫などアートマーケットの内部で実際に活動する論者らを踏まえ、アーティストの制作物はスタイル・コンセプト・エディションの3要素があり、加えて関係者である批評家、画商(ギャラリスト)などをアート作品の価値形成プロセスモデル図として提唱した。

 半田(2007)は市場価値は芸術価値を反映と主張しているおり、長期的な価格形成は美術的価値と一致するといい、美術的価値の根拠として「素朴さ」、「純粋さ」、「稚拙さ」を主張しているが、研究対象は中国近代骨董品やモダニズム絵画に限定されており、あくまで売買可能なメディウムのみを対象としている。また、優れた作家はグローバル規模での価値が維持され、画壇をはじめとするローカルでのみ価値が形成されている作家と異なり、景気変動による国内需要の影響が小さいと述べている。

 河島(2012)では、文化産業は制作者の過多による恒常的な供給過剰が発生し、社会文化学の概念であるゲート・キーパーが市場への供給を司る大きな役割を演じると主張しており、美術市場においてのキュレーター・ギャラリスト・批評家・影響力のあるコレクターなどを示唆している。

 画廊主である佐谷(1996)は売買可能な媒体である美術品の経済学的特徴を希少性と非代替性かつ耐久財であると定義づけ、セカンダリーで仕入れた絵画についての価格設定を仕入れから一定割合を上乗せした直接法と、市場動向を見て価格を決定する間接法を主張しており、プライマリーに関しては慣習的に50%の手数料が発生すると述べている。

 吉井(2008)は企画ギャラリーの活動としてアーティストの発掘と、アートフェアへの参加などのプロモーション活動などによる多忙な活動禄であり、若手アーティストの価値形成プロセスに対し示唆に富む。

 Granet・Lamour(2015)はコレクターの視点に立ち、美術作品を保有する動機として、投資家の投機やインフレヘッジなどを挙げており、金融商品の代替となる美術作品をフィナンシャル・アートと呼んでいる。また、ルイ・ヴィトンなどのブランド戦略として有名アーティストの起用例に取り、ブランド<アーティストの力関係を説明している。

 

図1 アート作品の価値形成プロセスモデル 若林(2010)

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引用:若林(2010)

 

■本論

1.アーティスト自身が持つブランド性の評価尺度としてのCV

 先行研究では、既に著名なアーティストとして評価が定まった上での美術品の価格形成に焦点があるが、美大生や若手アーティストという、一からの価値形成には触れられていない。

 現代美術家村上隆(2010)は、ピカソゴッホを例として挙げ、構図・コンテクスト・個性が美的な評価基準として存在するが、それらを纏め上げた作家人生の物語こそが商品価値となり買われ、作品から感じる重厚さを作家・作品「圧力」と表現している。作家人生の物語を言い換えるならば「来歴」に相当するだろう。

 アーティスト個人の来歴は、ブランド力と言い換えることもでき、Granet・Lamour(2015:203-204)は、「蝶の羽をコラージュしたデミアン・ハーストの『バタフライ・ペインティング』が本人のサインがあると約9360万円の値が付くが、無名アーティストの場合5万円もしないだろう」と述べており、アーティストには固有のブランド力があると考えられる。境(2017:8-10)によると、「ブランディングとは顧客に共有された印象、価値、信頼を与える方法であり、マーケティング戦略でもある。名前、ロゴ、コピー、ポジショニングや製品デザインなどは全てブランディングと言える」と主張している事から、作品のサイン・保証書が重要な記号となるアーティストに置いてもブランド論は適応でき、Granet・Lamour(2015:204)の「アートに関しては、目に見える物が全てではない」という記述から、近年の現代アート市場では「何を作るか」よりも、「誰が作るか」に重点が置かれる傾向があると言えよう。

 日本を代表するアーティストの一人である草間彌生に関しても、代表する水玉のモチーフの平面作品以外にもコラージュ、ソフト・スカルプチュアを初めとする立体作品、CASIOとのコラボレーションで製作した腕時計など多くのメディウム・作風で作家活動を展開しているが、どれもセカンダリー・マーケットで高額で取引されていることから、若手は「何を作るか」から価値が形成されていくにつれて「誰が作るか」という評価基準の裏付けとなる。

 以上の理由からCV(Curriculum Vitae、履歴書)は、売買不可能な媒体であるパフォーミング・アート、インスタレーション、価格発見機能を持つオークションなどのセカンダリー市場が形成される以前のアーティスト自身が持つブランド性の評価尺度として機能する主張する。

 CVの主な項目は、出身大学や学士、修士などの学歴である、教育(Education)、出展歴(Exhibitions)、助成金である取得歴(Grants)、受賞歴(Prizes)、美術館や公共団体のパブリックコレクション、有名コレクターのコレクション入りなどのコレクション(Collections)、批評、著名雑誌の出版記事である(Publications)である。

 CVが美術的価値を担保する根拠としては、オークションでは無名のアーティストが存在しない事が挙げられ、有名作家の作品価格が高額である理由は、美術館や著名コレクターの保有、多くの批評家による考察があり多くの個人・機関にその美術的な価値が保証されていることの証左であり、コンディションの悪化を除けば、美術的価値は将来時点においても劣化することはない。モナリザを例に取ると、短期間で消費される一過性のデザインと異なり、美術的な価値は作家と作品の来歴と共に不変である。

 作品の需要者である資産ポートフォリオの分散効果やソフトパワーの誇示を狙う裕福層コレクターの立場にとってみると、作家の来歴に裏付けられた美術作品は、多期間に渡り価値が保証されており、投資対象として選択肢の一つになるであろう。

 現に、そうした信用担保の効力を自覚、無自覚共に認識してか、アーティストの個人ページには必ずとも言ってよいほどCVが公開されている。また、作品であっても来歴・所有権の所在は展示と共に公開されている。

 以上を踏まえると、美大出身者にとっては、まずCVに記載されるものは学歴であり、作品の美術的価値は無学習のアウトサイダーよりは美大出身者が上回り、難関美大出身であることは少なくとも若手アーティスト間では優位にあると言えるだろう。

 下記の図2では若林(2010)を参考に、キュレーター・批評家によるアートヒストリーの構築や、ギャラリストの展示・流通活動により、その結果として作家の来歴であるCVに落とし込まれ、ブランド性を図る尺度なりうる形を説明している。

図2 アーティストの諸活動はCVに落とし込まれる

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出所:若林(2010)を参考に筆者作成

 

2.ゲート・キーパー

 2018年度における総合大学を除く美術系学部の進路の統計では、作家志望または未定者は1022人に及ぶ。供給過多が見られる産業では、流通を行う事業者との関係を円滑化させるため、文化社会学の概念である「ゲート・キーパー」の存在が鍵となる。ゲート・キーパーとは氾濫する作家・作品の中で市場の流通に足る創作物を門の内側へ通す、文字通り門番であり、フィルターのような役割で作家・創作物を濾過し抽出する役割を担う。

 美術に置いてゲート・キーパーとはアーティストを取り纏め展覧会を企画するキュレーター、画商として展示・流通を司るギャラリストトリエンナーレなど美術祭型プロジェクトのディレクターや著名コレクターが当たるであろう。彼らが創作物を独自の審美眼で抽出し、コレクション、展覧会の開催、アートフェアへの出展など営業活動を通じ、市場への流通を図る。

 しかし、美大出身以外の人物もアーティストとして多数存在し、有名・無名問わず東京都内では数多く画廊での展示が行われる現状では、ゲート・キーパーらも全ての作家・作品へアクセスできる訳ではない。

 その中でゲート・キーピングのひとつ前、第一段目のフィルターの一つとして機能しているものが公募展であろう。VOCA展、FACE展、シェル美術賞など企業主催のものから、20~30代の若手に置いては院展・画壇系の公募であってもフィルターとして機能するだろう。複数名の審査員の審査を突破し、選抜された作品が展示される展覧会ではゲート・キーパーらのアクセスに掛かるコストも小さくなり、作家自身は受賞の際には受賞歴が来歴に掲載でき、「圧力」の一部となりうる。

 平面作品のみならず、岡本太郎美術賞ではパフォーマンス等も出展可能であり、版画であれば山本鼎版画大賞展、むろん、日本画であれば画壇系列展など公募展のみでも幅広い表現領域に門戸が開かれている。

 もう一つフィルターとしてポーラ美術振興財団の若手芸術家の在外研修助成制度、文化庁の新鋭芸術家の海外研修などの助成金が上げられる。海外での宿泊費を含む日当が出るほか渡航費なども助成され、海外での創作活動を通して国内・国外問わずゲート・キーパーへのプレゼンスも高まる。無論、アーティストのCVには過去に受給した助成金の記載義務がある。

 

図3ゲートキーパーという概念

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 出所:筆者作成

 

1.2出展歴と貸しギャラリーについて

 辛(2008)や、山口(2002)では、貸しギャラリー制度に触れ、海外と比較し日本固有の制度としており、無名作家にとっては貴重な発表の場ではあるが、海外では展示歴としてみなされないとしている。また、辛(2008:206)は貸しギャラリーは基本的にレンタルスペースとみなし、作品を販売するために営業活動を行う商業ギャラリーと比較し、貸しはギャラリーという枠組みの外部にあると述べている。

 それでもなお、貸しギャラリーを利用する動機について、以下の3点が考えられる。趣味として活動するアマチュア作家の作品発表、美術系学部に属する学生のカリキュラムの一環としての発表、商業ギャラリーに属していない駆け出しのアーティストの発表。形態を問わず作品発表を行う場が読売アンデパンダン展など非常に少ない1960年代と比較し、現代では、美術年鑑2019年号によると東京都内で431の画廊の内、貸しギャラリーと明記しているものは104ある。美術年鑑に掲載されていないが、オーナーの意向で貸しギャラリーとしているものも含めると、発表の場は少なくはないであろう。

 有名・無名問わず展示会が開催できる貸しギャラリーにおいては、現代美術を志すプロフェッショナル指向のアーティストと趣味として活動するアマチュアの差はどのように発生するのだろうか。

 プロ・アマの差を決定づけるものは、展示会が後述するキュレーター・批評家・影響力を有するコレクターなどゲートキーパーに対してコネクションを持ち開かれているか否かであり、アーティストの知り合いが訪れるという程度では価値形成に有益な結果をもたらさない。仮にアマチュアの展示で購入するコレクターが表れたとしても、コレクターの趣味の域を超えず、アーティストの美術的価値が向上するとは言い難い。

 ゲート・キーパーが来訪し、彼らに対して影響力のある作品を展示し、批評や言説を伴うことで事後的にプロフェッショナル指向の貸しギャラリーの展示と言えるだろう。

 

 

 

参考文献

若林宏保 . アート作品の価値形成プロセスについての一考察: アートマーケティングの実践に向けて. マーケティングジャーナル. 2010, Vol.29, No.3, p74-89

村上隆. 芸術起業論. 第12版. 幻冬舎. 2006, p246

村上隆. 芸術闘争論. 幻冬舎. 2010, p316

半田晴久. 美術と市場. 第2版. たちばな出版. 2007, p291

河島伸子. コンテンツ産業論. 第3版. ミネルヴァ書房. 2009, p257

佐谷和彦. アート・マネージメント. 平凡社.1996, p227

吉井仁美. 現代アートバブル:いま、何が起きているのか. 光文社. 2009, p230

Daniele Granet, Catherine Lamor(2015). Grands et Petits Grands et petits secrets du monde de l'Art (ダニエル・クラネ、カトリーヌ・ラムール. 鳥取絹子(訳).(2016) 巨大化するアートビジネス, 紀伊国屋書店

辛美沙. アートインダストリー:究極のコモディティを求めて. 美学出版. 2008, p.318

山口裕美. 現代アート入門の入門. 光文社. 2002,p266