所感

生活の所感を投稿します。

関係

空腹に耐えかね、積み上がった本の一番上にほったらかしにしてあったカロリーメイトを齧った。ぬるい食感と共に湿気った味がした。

気付けば9月も目前で、今年があっという間に過ぎるのを感じる。ふと年始にジャズセッションをしたことを思い出す。

仕事は来月から本格的に忙しくなるそうだ。新店舗のレセプションやフェア、出張などのスケジュールが詰まっている。シフト制で休みがあるが、実質的には不定休だと思う。

コロナウイルスにより学業(特に大学)や経済活動などが停滞しているようだが、僕はなかなかに波乱に満ちた8か月であったし、これからもそうだと思う。

 

 

Mさんと交際をしている。大学の後輩のD君を切っ掛けに繋がり、「付き合って欲しい」という旨のLINEメッセージを僕から送った後に交際が始まった。すぐに通話して、こんな告白の形でごめんと話すと、「言葉は言葉だから」と言ってくれたことが印象に残っている。

交際が始まって少し後に仕事が始まり、休みが合わずになかなか会えずじまいではあるが、「交際中」という関係自体が僕にとっては嬉しいものであるし、救いになっている。

 

フリーセックスもOKだし、Mさんが僕以外の誰かを好きになっても構わないという関係であり、一見寛大そうに見えるかもしれないが、実のところそうではない。

恋愛に於いて誰かを欲することが怖いのである。

今まで付き合ってきた人を通してわかった事であるが、僕はかなり彼女に依存する性質であり、その底なしの欲求に嵌ってしまうことが怖い。

一度嵌ってしまうと、彼女が何をしているのか、誰と会っているのかが気になって仕方がなく、それに伴って感情の浮き沈みが激しくなる。

金銭欲、物欲などあまりないタイプだとは思うが、色恋だと違うみたいだ。

なので、今のような関係が落ち着く。

 

勿論、どこか似たようなフィーリングを持っているような気がする、という所もある。

最近知り合った外資系生保の人にも言われたが、「人間は死ぬために生きる」ということだ。

死というゴールがあるからこそ頑張れるのかもしれない。

死は救済、死という事実があるだろうという期待が救済なのだ。

 

僕にとってアートとは、人生を賭けて夢中になれるかもしれないこと、荒っぽく言えば死ぬまでの暇つぶしである。

就職前は某念慮があり、実際に行動にも出たことがあるが、今のところアートに夢中でそれを忘れられている。

しかし僕の根幹には常に死がある。共に死と向き合えそうなMさんこそ、僕に必要な人かもしれない。僕らは婚約者であり、有事の際に結婚するのだから。

 

今度、大学の後輩のAの展示を名古屋へ観に行く。彼女は僕にとって一番かわいい後輩である。僕はある親近感を一方的に抱いている。元ご近所さんだったことや音楽や芸術への興味が共にあることもあるが、恩人だからである。

未だに仕事関係で世話になっている身で面目がないが、いつかは恩を返したい。

 

それから、Twitterで知り合ったKさんとの関係も僕の救いになっている。彼女とはリアルでは半年前に京都で会ったきりだが、それ以降もSNS等を通して繋がっている。バックグラウンドやフィーリングが似ている事もあって、やはり僕は一方的に親近感を抱いている。彼女とのゆるいSNSでのやり取りは、セーフティネットとして僕に必要なものだ。

去年だったか、Kさんが受験生の時に知り合って、僕の7個か8個下だけれども、僕よりもずっと賢くて秘めたものを感じる。

 

 

3人について書いたが、全員女性である。僕が主に精神的に影響を受けるのは今も昔もほぼ女性からだ。たまに自分が恐ろしくなるが、色恋、愛への底なしの欲求の反射鏡なのかもしれない。

 

 

皆さんには日頃からとても感謝している。Aとは展示で会う予定だが、またMさんのヴァイオリンを聴きたいし、Kさんと行けずじまいだったユニバにも行きたい。

今後とも、よろしくお願いします。