関係 III
大学を卒業した。
留年と休学で5年と半分掛かった。
年相応に思い出はあるもので、長くなってしまうのでまた別の機会にも書くとする。
旅同(タビドー)呼ばれる、本学唯一の同好会に1年の頃から所属していた。
ペーパーカンパニーのような実態で名前通りの活動はしておらず、僕自身も旅行はあまり好きではないので旅というものはした事がない。
しかし、僕は僕の精神にて旅していた。
行動範囲こそ東京近郊と狭いが、ジャズ研、ゴルフ部、タビドー、投資サークルといった課外活動からゼミ、教授、インターン、交友、色恋等々色んな人達と関わりを持つ中で自分自身が変化してきたと思う。
前向きか後ろ向きかのベクトルは別として、前進し続けた。
紆余曲折を経、今は画廊で働いている。一歩違えばあの世にいたかもしれないし、金融系の職業に就いていたかもしれない。
僕の父は、スパルタ教育かつ歪な家庭環境で育ち、彼自身の意思とは関係なく今の職業にならされたそうだ。
その反動もあるのか、僕たち兄弟は、それなりに自由に育てられた。
この高校へ行け、この大学へいけ、こうした職業に就けというものは一切なかった。
僕の履歴書は冗長で、汚い。
それは未熟な僕の精一杯のあゆみが残した足跡である。
全日制の高校をドロップアウトし、3つの高校を渡り歩き、大学にも5年半いた。
両親の温かい支援のお陰でもあるが、未熟ながらキーポイントの意思決定を自分自身で行ってきた。大学に行くことだってそうだ。
しかし、人間が成熟し、確実な意思決定が行えるのは40,50歳を超えてからだそうだ。恐らく僕の意思決定のほとんどは間違っていただろう。
何が正しくて、何が間違っているのかも今現在でもわからない。
僕に出来ることは、歩み続ける事だけだ。
どういう訳か、金融学科の19年度卒、20年度秋卒を代表して学位を受け取る運びになった。
学位証は新たな行き先への切符である。
お世話になった諸先輩、同期、後輩、先生、友人達、そして恋人にお礼申し上げたい。
Kこそ未だに苦手だが、結果として、自分を問い直すいい契機となった。
大学で出会ったTは、僕は親友だと思っている。
「いま、ここ」の僕たちが同時に歴史となる。
共に参りましょう。
引き続き、よろしくお願いいたします。
追記:いつか龍華園で貸切パーティをしたい。
二次会はアンプラグド。バーテンさんも5年以上の付き合いになる。
どちらも大学1年の頃から通っている場所だ。
三次会は地下の某中華。何度も朝を迎えた。
またお会いましょう。