所感

生活の所感を投稿します。

【小説】バトルロイヤル大学 ①

 正面60メートルに移動する二人の敵影が見えた。俺は自販機に隠れながらMP5のセーフティを解除すると3点バーストモードに切り替え撃った。秒速360メートルで飛翔する弾丸は彼らを掠め、コンクリートの壁面に激突しパチンという音が弾けた。この発砲音で敵がこちらに向かってくるだろう。俺達は移動を開始した。

 

 ・・・

 

 「今から二人一組になって殺し合いをしてもらいます。最後の二人となったら晴れて学士の学位が与えられ、卒業となります。死亡者は残念ながら、退学とさせて頂きます。相方はクジで決めます。」

ざわめく。学科120人ほど集められた講堂で学長の山㟢により発せられた"卒論"の概要である。山嵜を見るのは初めてだが、いかにも普通の教授といった風貌だ。集められた学生は、男が少し多いだろうか。

「静かに! これは社会で文字通り生き抜く為の選抜試験も兼ねています。判断力、瞬発力、実践的知能をテストするものです。これを生き抜かなければ今後君たちが社会に出た時にぶつかる困難には到底立ち向かえません。武蔵大学を代表するからには、ここでサバイブする力を発揮しなければなりません」

 120人いたとして生き残るのは二人、生存率は1/60、つまり2%もないのか、と計算している内に、学長が箱の中から紙切れを抜いていく。入場前に俺に与えられた紙切れには39番と書いてあった。

「15番と・・・84番! 次、92番と97番! 次、32番と54番! 次、102番と66番!」

 番号が呼ばれたと思わしき学生がキョロキョロ見渡す。要領のいい奴が相方だと助かるのだが・・・。運も実力の内だろう。

「次、23番と74番! 次、1番と11番! 次、118番と95番! 次、43番と21番!」

「次、89番と・・・39番!」

 どうやら俺は89番の奴とバディになるらしいな。とは言えども向こうの番号を確認する手立てがないのでただ次の番号を清聴することにした。

「117番と、33番! ・・・これで番号の発表は終わります。これから諸君には耳栓と目隠しをしてもらって、スタッフが連れて行くのでキャンパス内のどこかに移動してもらいます。物資はキャンパス内の各所に配置しているので、自由に拾って自由に使ってください。初心の諸君の為に、複雑な物資にはマニュアルも添えてあります。必要であれば目を通すように」

 黒スーツを着込んだスタッフが行動へゾロゾロと入場してくると、俺達は視覚と聴覚をシャットアウトされ、移動させられた。次見た景色は7号館7214教室のホワイトボードだった。

 

・・・

 

「馬場さんじゃないっすかあ!」

 後方から聴こえてきたのは聴き慣れた声だった。

「土肥(ドヒ)じゃないか」

「馬場さん、休学してたからここにいるんですか? いやーめちゃ嬉しいッス! いきなり呼び出されていきなり殺し合いだなんて言われてビビりましたけど、馬場さんとなら勝てる気がします!」

「俺もほんと土肥で良かったわ、一つ助かったな」

 土肥は俺の一個下の学年で、旅同好会という部活に所属している後輩だ。趣味はギターや機材弄りで、そのセンスはどこかナードなものを連想させる。知り合いというのも幸運だったのかもしれない。知らない奴よりかは連携が取りやすいだろう。こいつなら頼りになりそうだ。

 俺達を連行してきた黒服がゴトリと箱を置いた。粗悪な鉄材で構成されてるそれは重量感があるように感じた。黒服の一人が口を開く。

「現在は9時40分だ。最終試験は10時ちょうどから行い、チャイムが試験開始の合図になる。試験終了の時刻はなく、最後の二人が残るまで殺し合いをしてもらう。その箱の中にあるものが君たちに最初に支給される物資だ。10時までは我々が見張りをし、外には出てはいけないが自由に会話をしてもいい」

 俺は鈍く光る箱を空けると、地図を表示したタブレットが1つ、ナイフが2本、拳銃であるSIG SAUER P226が一丁、と説明書が1冊、9mmx19mmの弾薬の詰まったマガジンが3本分入っていた。他の組がどのような物資かは知らないが、飛び道具がある分マシだろう。

「試験を効率よく進めるために、今は中高含めキャンパス内全域が試験会場であるが、時間経過と共に試験会場を徐々に狭める。試験会場の範囲はタブレットに表示されている。試験会場から外側にいる者はスタッフの警告の後、射殺され試験失格となる。タブレットはくれぐれも破損しないように」

 そういうと黒服は口を噤んだ。なるほど、これ以上は何をしてもいいってことか。

「土肥、銃とタブレットは1丁しかないけどどっちが持つ?」

「馬場さんにお任せします」

「よし、次の銃が見つかるまでP226は俺が持つ。俺達に銃の説明書は不要だな。タブレットは土肥が持っていてくれ」

「了解っす!」

 そういうと俺はジャケットのポケットに2つマガジンを入れ、残る1マガジンをP226に挿入した。シャキっという小気味良い音が響く。P226にはどうやらセーフティが無いようだがスライドを引いて初弾をチェンバーに送り込んだ。

「試験官、試し打ちは良いか?」

「駄目だ」

「弾を入れずに撃つ、ドライファイアは」

「まあ・・・いいだろう」

 マガジンをリリースし、マガジンは自重で落下することを確認すると再度スライドを引いて弾薬をイジェクトした。トリガーに指を掛けると力を入れる。パチッという音がした。トリガーは重すぎず軽すぎず、弾きやすいと感じた。照準器には白ドットが埋め込まれており狙いやすい。ドライファイアで撃ち着心地を確認すると、落ちた弾薬をマガジンにロードし、再度P226に装填した。

「土肥、こいつは撃ちやすそうだ。サイトは白ドットがあるし、トリガープルも悪くない」

「このタブレットも専用の地図アプリかなんかでGoogle Mapみたいな使い心地っすね。それぞれグリッド状に区間が切り分けられていて、今は僕らは7号館の2階なので、Aの3にいるらしいっす」

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 タブレットを確認すると、南が上方にあり、上半分が武蔵中高エリア、下半分が武蔵大学エリアとなっている。A3に現在地が赤ドットで示されており、これが俺達の現在地を示唆するものらしい。こうしてみると武蔵大学はあまり広くない。ロングレンジでの打ち合いというより、室内戦が多くなるかもしれない。室内間の移動には気を付けた方が良いだろう。マップとにらめっこしていると開始を知らせるチャイムと女性の声でアナウンスが聞こえてきた。

 《皆様、試験開始の時間です。現在は試験範囲はA1からD5まで、全域が対象になっております。試験会場はアナウンスと共に収縮いたしますので、聞き逃さぬようにお願い致します。それでは、検討を祈ります》

「まずはいきなり殺されるのはごめんですし、ここ7号館に籠城してみるのはどうっすかね」

「そうだな・・・しばらく様子を見てみよう」

 黒服が部屋を出る。数分後、パァンと乾いた音が反響して遠くから聴こえる。始まったか、最終試験(バトルロイヤル)が。

 

・・・

 

「7号館での動きは無いみたいだな」

「そうっすね・・・」

 俺と土肥はドア付近に待機して突然の来訪者に備える。土肥はナイフを抜き身にして構えており、俺はP226を銃口を下に向け待機している。パパパパンと断続的に聴こえてくる。恐らくC2、武蔵中高の方向だろう。ライフルやマシンガンの類も物資として存在するようだ。対ライフルでは拳銃は心もとない。

「土肥、俺達も物資を求め隣りの部屋に移動するぞ」

 7号館7214教室から静かにドアを引き、廊下を窺う。どうやら廊下には誰もいないようだ。俺は小声で土肥にそれ伝える。7214教室から7215教室に入るとリュックサックが一つ置いてあった。中にはスニッカーズポカリスエットなどの食飲料が少し、9x19mmの弾薬が20発ほど入ってあった。俺はそれらを右ポケットへ詰めるとリュックを土肥に背負わせた。

「うおおおおおお!」

「ああああ!」

 突然の怒号に俺と土肥は戦慄する。どうやらお客同士が近くの教室にいたようだ。発砲音が聴こえないということは拳銃の類は持っていないのかもしれない。

 30秒ほど聴こえた怒号が聴こえなくなる。どちらかの組がどちらかの組を蹂躙したようだ。俺は土肥に目配せと、指を外に向けて指した。漁夫の利だ。蹂躙したならば相手の物資を漁るだろう。その隙にやる。拳銃を持っていないのなら勝算は十分にある。

 未だ物音がする7217教室へ向かい、音を立てないよう静かに中腰で移動する。ドア前まで待機すると俺はP226を握る。手が汗ばんでいるのが分かった。土肥に向け指を3、2、とカウントすると勢いよく室内へ飛び込んだ。

「動くな!」

 P226を向け俺は叫ぶ。中には体育会系の男二人組がナイフを片手に驚いている。硬直している片方の男の胸部めがけ発砲した。パァンという爆音が室内に響く。男は崩れ落ちた。続けざまにもう一方の男へ数発発射すると、沈黙が訪れた。

「土肥、室内クリア」

「さすがっすね・・・」

 人を殺したのは初めてだった。

 血だまりと4人の死体が並んでいる。俺と土肥はそれぞれの荷物を物色することにした。出てきたのはウィダーゼリーと銃弾で穴の開いたリュックサック二つ、菓子パンの類だった。銃器は出てこない。土肥がこちらに向け首を振るのが分かる。目ぼしいものは無かったようだ。

「土肥の分の銃器がいるな・・・。とりあえず部屋を変えよう。これだけ大きな音だしたんだから俺達と似たような考えで襲ってくるかもしれない」

「了解っす、とりあえず上階行きますか」

「流石に7号館に俺達も入れて6人いたし、3階にはいないかもな」

 注意深く廊下をクリアリングし、7号館内部にある螺旋階段を音を立てぬよう上り、3階にたどり着く。3階はコンピュータールームになっており、iMacやPCが立ち並んでいる。遮蔽物も多い。銃を持っている俺を先頭に静かにクリアリングする。3室あるコンピュータールームの一つをクリアし終わると、奥のデスクに置かれていたライフル用の.223弾薬が50発手に入った。

「ひっ・・・うぅ・・・」

 二つ目の部屋に入った時、異変は起きた。女性のすすり泣く声が聞こえてきたのだ。7,8人目がいたのだ。P226を再び構え、土肥に背後を任せ、静かに声の元に前進していく。

「動くな」

 ナイフを持っている事を警戒し、3メートルほどの距離を空けて声を発した。しかしその女学生二人は戦意などまるでないように見えた。

「こ、殺さないでください・・・」

「何か武器となるものは?」

「使い方、のよく解らない、鉄砲が一つ、あります・・・。 必要なら、持って行って、下さい、その代わり、殺さないで、ください・・・」

 彼女らは涙ながらに話すと、リュックの中からベレッタM92とマガジンは3つが取り出した。戦う気はないという意志表示か、それらをこちらに差しだしてきた。俺は銃口を向けていたP226を下げ、警戒しつつもベレッタM92とマガジンを受け取ると、土肥に渡した。

「いいんすか? 銃が無いと君たち何もできなくなるじゃないですか」

「いいんです、人なんて、殺せないし」

「それならいいすけど、ありがたく貰っときます!」

 土肥はマガジンの残弾を確認してベレッタに挿入するとスライドを引いてセーフティを確認した。俺達はすすり泣く女学生を背後に部屋を物色し、隣の部屋も物色したが、結局出てきたのは250mlのレッドブル2本だった。

 

次回

【小説】My Girlfriend,Who Is ④

前回

「海と鳥と言えば、近場で言えば横浜、みなとみらいじゃないか? お前達が良く行ってたあの公園なんかどうだろう」

「なるほど。新田、お前にしては良い線いってるかもしれない。たしかに手がかりはこれしかないような気もする・・・。今から行けるのか?」

 確かに、朋子との思い出を回想すると、横浜には多くの思い出がある。朋子の実家が近い事もあって、初デートも港の見える丘公園で写真を取ったり、赤レンガ倉庫でディナーを食べた。そして、モニュメントが連なる像の鼻公園の先端で告白したっけ・・・種はわからないが鳥が海上を舞うのもそこしかない。

「横浜は車だとしんどいものがある。渋谷駅まで送るからあとはお前と愛理さんに任せる」

「わかった、その前に3人でランチしてからだな。もう13時半になるし、腹ごしらえをしよう」

 

 展示作品群を背景にMOTから出ると俺達は近くのフルバリというカレー屋でランチを食べることにした。店はネパール人かインド人か判別ができないが、東南アジア系のスタッフがカタコトで仕切っている。店の売りはチーズナンらしく、とりあえず伝わるように俺はゆっくりとした発音でチーズナンとキーマカレーをオーダーする。

「新田と愛理さんはどうしますか」

「じゃあわたしは日替わりメニューのランチセットで」

「俺もそれで」

 展示の感想を語らっている内に、サラダとヨーグルトが付いたセットが新田と愛理さんに、いかにも上手そうなバター香るチーズナンが俺に提供された。どうやらチェーン展開しているらしく、他系列店のチラシが目に入る。ふと昔、ネパール人、インド人らと交流があった頃を思い出す。彼らは村単位で東京に出稼ぎに来ており、コミューンの様な生活共同体を形成するという。特に錦糸町を周辺として大きなコミューンがあり、本国の家族に店舗の売上を送金しているという。俺はネパール人から見せてもらった家族の写真を思い出す。家族の後ろに写る白いアール・デコのような装飾の付いた建物が印象的で、東京―ネパール間では大きな購買力の差があることを示唆していた。

 

 その後は特に会話もなく3人は黙々と食べ終わると、別々に会計を済ませて新田の車に乗り込む。俺はまたスマートリングを新田の車に接続すると、大森靖子を再びかける。お前またそれかよ、という新田の小声は聞こえないフリをした。相変わらずの安全運転で、再びそびえ立つ蟻塚群地域を超え、渋谷に出る。開館して30年ほど経ってやや建物が陳腐化したヒカリエ付近で俺と愛理さんは降りた。

「新田、サンキューな」

「おう、また進展あったら連絡してくれ」

「愛理さん、東横線で行きましょう。急行なら40分も掛からなかったと思います。みなとみらいで降りて少し歩いたところです」

 渋谷の駅は相変わらず人でごった返しており、俺と愛理さんはくっつくようにして移動した。朋子のやわらかい二の腕俺の腕に当たったような気がした。東横線の急行に乗り込むと、渋谷で降りる人とちょうど入れ違いになり、二人分の座席が空いたのでそこに座った。しばらくすると走行音をBGMに愛理さんが話しかけてきた。

「ふう、なんだか大移動して長い一日になりそうですね」

「横浜に手がかりがあればいいんですけど・・・。俺個人的にはなかなか思い入れのある場所だし」

「わたしも実家が神奈川なので横浜には良く行っていました、土地勘もあるし、助けに慣れると思います。山下公園なんかは元彼とも来ました」

「愛理さんは今好きな人とかいなかったんですか?」

「そうですねえ、会社の男性の同期と遊びにいくことはありましたけど、それ以上は全然・・・。 実はなんですけど、父の会社が最近倒産してしまって、そっちが大変で、どころじゃないというのが本音です」

「それはそれは・・・。どんな会社だったんですか?」

「家電の卸売でしたけど、情勢が変わって思うように仕入れが出来なくて、資金繰りに困ってたみたいです」

「ふーん、なるほど・・・。よく朋子と精神取引しましたね、そんな状況で」

「朋子さんから手間賃って言われて給料4か月分くらいのお金は貰ったので、それならいいかと思って」

「ますます朋子が消えた謎は深まるなあ」

『次は横浜、横浜でございます』

 横浜に到着した俺達は、山下公園へ行くためにそのまま東横線を乗り続け、みなとみらい線直通の元町・中華街で降りることにした。横浜駅で車内の人の出入りあり、すっかり空席が目立つ。16時半頃、終着駅で降りる頃にはがらんとしていた。さて、行きましょうとつい愛理さん―朋子の姿―の手を握ってしまう。

「あ、すみません」

「えっと・・・」

「ごめんなさい、朋子の姿なので、つい」

 流石に手を繋いだだけで赤面するような年頃もでもなく、何とも言えない雰囲気となる。電車の揺れでつい女性にぶつかってしまったような気まずさを感じた。つい手が出てしまうほど俺は朋子の事が好きだったのだ。1メートルほどの距離を空け歩き、山下公園へ到着するととりあえず当たりを見渡すが、朋子ー愛理さんの姿―の存在は確認できない。

「海と鳥と言えばここですが、どうやら居そうにないですね。ヒントみたいなものがないか探してみましょう」

 俺達は山下公園を一周し、一面華やかなバラ園、遺跡のような「世界の広場」を通過する。連れたって歩く朋子の姿がデジャブとしてかつての日々を想起させる。このややうつむいた姿勢はどうみたって朋子そのものなのだ。

「朋子・・・」

 そこにいるけどもそこにいない虚無感、俺は呟く。恐らく、朋子とは、いや、人というシステムは、肉体というハードウェアと精神というソフトウェアが相互に作用しある種の不確実性を伴う"現象"なのだ。俺は精神だけの朋子を愛せるだろうか。俺は肉体だけの朋子を愛せるだろうか。直接的に唯物論と唯心論的な問題が孕む。我思うから我があるのか、肉体という構造に精神は宿るのか。性愛の対象とはどちらになるのだろうか。俺が求めているものはフィジカルとしての朋子なのか、プラトニックな朋子なのか。

 追いかけっこをする子ども、ベンチに座る老夫婦、海からの温もりのある風がいっしょくたに包み込む。包み込んだ風はなつかしさ含む回想を伴って発散する。俺は一歩踏み出し、海に面する手すりに手を掛ける。周辺は工業化されているが、それでもわずかに香る自然を感じられた。辺りが薄暗くなってきた頃、俺と愛理さんはそのまま海沿いに歩き、像の鼻パークへ移動する。像の鼻パークには弧を描くように配置されたモニュメント達に囲まれて、モニュメントの終着点は海へ突き出ている。俺達は像の鼻、その鼻部分に立ち尽くし、風に取り囲まれた。人影はなく、電灯と月明かりだけが俺達に舞台の主役かのようにスポットを当てている。波音と幾度かの強い風が過ぎ去った。

「こうしていると、カップルみたいですね。朋子さんの気持ちが分かるような気がします」

 カップル。性愛、エロス、死と同じく人類の永遠のテーマ。波風とスポットを浴びた俺は不意に手を伸ばす。伸ばした右手が朋子の左手を掴むと引き寄せた。

 「え、何を・・・」

 唯物的側面、50%という不完全なキスで朋子の、潤って厚みのある唇を塞ぐ。

 「朋子・・・」

 でも、"想像"というヴァーチャルな付加分で唯心的側面は埋め合わせられるのではないか。しかし、想像による付加で100%を超えた時、愛理さんが排除されることを意味する。けれども俺はそんなことはどうでもよかった。朋子を欲していたのだ。

 

 沈黙が世界を支配した。

 その沈黙を破ったのは聴こえてくる足音と、息を呑む愛理さんの声、そして現れたのは朋子の姿だった。

【詩】No Place To Hide

ふさしい終焉、鳥になりたい
2.52秒間、82.34kmで空を飛ぶ

 

僕自身と相対したとき

もはや隠れる場所はない

 

鳥になりたい

より高い場所から世界を観測する

 

世界は濁流のようだ

手漕ぎのボートでは物足りない

 

オーロラのような流線が見える

それは世界中を覆い尽くす

 

それでも明日はやってくる

もはや隠れる場所はない

【小説】My Girlfriend,Who Is ③

前回 

subject:無題

 『わたしを探して。わたしはMOTにいます』

 

「ふーん、そう来たか」

 知らないアドレスから送られてきた一通のメール。無題のタイトルに短い一文、これは朋子から送られてきたのだろうか? 今時メールなんて紙媒体と同じくアンティークなものだ。俺は電子タバコをソケットに入れ、過熱を開始する。ほどなくして振動し、喫煙準備完了になる。まずフィルターを咥え、一呼吸した。その内に沸かしていた湯をカップに注ぎ、直接ティーバッグを放り込んだ。時刻は8時を少し回った所だ。

 MOTMOTと言えば東京都現代美術館を指しているのだろうか。1995年に開館し、開館50周年を超えている。現在ではダムタイプというアーティスト集団の結成70周を記念する企画展がオープンしている。すでにリーダーは死去しているが、団体というのは団体に通じる一貫した意志がある限り、受け継がれていくものなのかもしれない。

 俺は愛理さんのスマートリングへ通話を掛ける事にした。2度、吐き出したタバコの煙が拡散する間を空け、通話は繋がった。

「おはようございます、愛理さん。」

「おはようございます」

「早速ですが、実は差出人不明なのですが、朋子と思われる人からメールが送信されてきまして、内容は『わたしを探して。わたしはMOTにいます』との事です。おそらくMOT東京都現代美術館を指しているのかもしれません」

そこで愛理さんの息を呑む音が聞こえた。

「僕はこれからウソかホントかわかりませんけど、東京都現代美術館へ向かってみようと思います。よかったら愛理さんも一緒に来ませんか」

「ちょっと待ってください・・・。ごめんなさい、ちょっと身の回りの整理をしたくて、今日は行けないかもです」

「せっかくの手がかりですよ、身の回りの整理なんて後でもできるじゃないですか。そりゃ体が変わって色々大変かもしれませんが、チャンスかもしれませんよ」

「それはそうなんですが・・・」

「お願いしますよ」

「わかりました、どこへ向かえばいいですか?」

「ちょうど休日で助っ人が暇そうなのでこれから呼びます。その人のその車がいいかな。追って連絡します」

 淹れた紅茶はすっかりぬるくなっている。二人より三人と思い大学時代の相棒とも言える新田に連絡を入れてみることにした。新田は同じサークル・学部で4年間共にしてきた奴で、ガタイがそこそこあって、基本的には良い奴だ。今はメーカー勤務でこれから2年目となろうところだ。あいつの事だからどうせ暇な休日を過ごしているだろう。

 奴のスマート・リングへ通話を掛けると、数度紅茶に口を付けたところで新田は応答した。事情については、相川に説明したこともあり、2度目はメールの件も添えてスムーズに伝えられたと思う。

「新田もMOTに来ないか、そして車も出来れば出してほしい」

「しゃーないなあ・・・。しかしその込み入った事情には興味はあるね。しかし俺は美術なんてまるでわからんぞ」

「二人よりは三人の方がいいだろ、その方が探しやすい。それに目的は芸術の鑑賞じゃなくて人探しだ。今の姿の朋子―眼鏡の愛理さんだ―の画像もそっちに送る。俺も見慣れてないから見落とすかもしれない」

「でも日時は書いてないんだろう? それは昨日の話か、明日、明後日の話かもしれん。今日ずっと一日美術館にいるつもりなら俺は行く気が無い」

「恐らく何かのヒントだと思う、俺は。美術館に何かあるのかもしれない。それに元々手がかりはないんだし、とりあえず行ってみるに越したことはないだろ」

「そうか。わかった、どこ集合よ」

「すまないが、10時くらいに明大前まで来てくれないか、愛理さんともそこで合流する」

「しゃーないな」

「ドライブだと思ってくれ。バッテリーの電気代と駐車場代は俺が持つ」

 すっかり冷たくなった紅茶を片手に更に一服し、外出の準備をした。飲み終えた紅茶をつけ置きの皿の上に置いた。

 

 明大前に少し早く到着した俺は、少しあたりを散歩することにした。駅前はこじんまりとしているが賑やかで、京王電鉄系列のスーパー、スタバ、マクドナルドのようなチェーン店も揃っている。不動産屋がやや遠くの正面に並んでいるのを見て、朋子に一瞬のノスタルジーを感じた。

 そうこうしてる内に愛理さんを出迎えた。服装は朋子のを借用しているみたいだがメイクが違う。赤いアイシャドウのうさぎ目メイクではなく、ブラウンのアイシャドウで少し大人びた印象を受ける。そこに朋子の面影は薄くなって、記憶の中の朋子が拡散して、新しい朋子像が形成されていくように感じた。化粧といった染み着いた日常的な習慣は代えられないのかもしれない。

 ほどなくして新田の水色のEV車が滑らかに走行してくるのを見かけると、片手を上げた。後部座席に愛理さんを乗せ、俺は助手席に座る。相川の時と同じように新田は朋子ではないことに驚いているようで、誰しもこういう事情には同じような反応をするのかもしれない。

「びっくりですね、愛理さん。朋子さんの外見なのに、中の人が違うなんて」

「ええ、新田さん、初めましてですね。精神取引をしたのは3日前なんですけど。初めは手を動かすのにもちょっと違和感がありましけど、さすがにこの体にも慣れてきました。目線の高さがちょっと低くて皆さんすごく背が高く見えます。でも体の部分で言えば出てるとこが出てて、朋子さんが羨ましいです。朋子さんから言えば、身長の部分で思う所があるかもしれませんけど」

 俺は新田のEVにスマートリングを登録すると、景気づけに2010'sの音楽を流した。2010年代はサブカルチャーの最盛期と言える頃らしく、当時は下北沢、原宿をファッションの拠点として、アングラなライブが日々行われていたらしい。とりわけ俺が好きなのは大森靖子だ。その激情で、真っ直ぐな歌唱と歌詞は今でも俺達のような若い世代に沁みわたる。いくつかあるアルバムから2017年の「kitixxxgaia」を開き、「勹″ッと<るSUMMER」―グッっとくるサマーだ―を選択した。スマートリングでボリュームを上げる。猫なで声の地声のセリフのイントロが流れたと思うとポップなバックサウンドに曲が展開されていく。それに耐えられないのか新田が渋い顔をした。

大森靖子はいいぞ、激情ロックだ、直情的だし、生命を感じるね、俺は」

「お前メンヘラだし、好きそうな曲だなあ。講釈はいいが音がでかい、少し下げるぞ」

「そういや、愛理さんは美術に関してはどうなんですか?」

「そうですねえ・・・ よくミュシャ展とか、印象派の展覧会とかそういったものには行きますけど現代美術となるとあんまり詳しくないです」

「まあ今回は人探しなので全然、大丈夫ですよ」

 新田の心がけるという安全運転で、急なブレーキもなくGも感じずに進行する。千代田区に入ると、皇居周辺の高いビルが連なる景色が見える。それは日々働きアリが出入りする蟻塚のように感じた。ビル群を通過して隅田川を超えると江東区に入る。MOT近くの駐車場へ止まると同時にポップでアングラな曲も止まった。新田に運転の礼を言う。駐車場代は30分200円という最大1200円というほどほどの相場だ。

 MOTはやや混んでおり、25分ほど待ってチケットの受付の順番が回ってきた。より広い範囲を探せるよう3人分の企画展チケットを購入する。企画展のチケットならば常設展にも行けるからだ。二人にチケットを渡し、企画展の受付を通過する。美術館へ本来の目的以外で訪れたのは初めてだ。

「館内はそこまで広くないのでばらけずに3人で探しましょう。混んでいるので見落としがあるかもしれないので」

「了解」

「わかりました」

一向はまず企画展であるダムタイプというアーティスト集団の展示へ向かう。入ってすぐにはそれまでの経歴とアーティストに対する説明を記したパネルがあり。次いで大きな展示室にはレコード台座からそれぞれ光と音が発生するという作品《Playback 2036》が展示されている。大きな音が出る作品なので、話し声には気を遣わなくて良さそうだ。次いで鏡面張りの空間に、プロジェクションマッピングタイポグラフィが投影されるインスタレーション作品。愛理さんは鏡に映る朋子の姿が自分ではないような気がするのか、手や足を動かしたり鏡に映る朋子を見つめている。

 ブラウン管TVに映し出されるダンスの映像作品などが続く。展示を観る人々に目をやるが、美術館にも拘らず手を繋いだカップル、外国人男性、ジーンズを履いたヒゲにレンズの大きい黒縁眼鏡といったいかにもデザイン系な男性、あか抜けない若い女性。朋子ー愛理さんの姿―は一向に見当たらない。

「愛理さん、どうですか、自分の姿は見つかりませんでしたか?」

「身長があるので見つけたらすぐわかると思いますが、今のところいませんね」

 自分で自分の姿を探すというのも奇妙なものだ。人間は鏡に反射する姿でしか自分を認識できない。というのは構造主義論者のジャック・ラカンによる論だ。果たして朋子と邂逅した時、自分自身―朋子だ―が自律的に動く姿というものは愛理さんにとってどう見えるのだろうか。

 途中にある《MEMORANDUM OR VOYAGE 2034》は巨大なスクリーンによる映像作品だ。中心線が上下し、生と死の境界線をどこまで科学は担保するのか。問い掛ける作品である。今尚科学が発展しても死は謎に満ちている。

 スキャナーのようにコンピューター制御で動作するバーは《PH》と命名されており、項対立を象徴している。その付近にはLOVE・SEX・DEATH・MONEY・LOVEの文字がひたすらスクロールする《LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE 2018》が展示されている。

 SEXの対立はなんだろうか。俺は死だと感じた。LOVEの対立も無関心ではなく、死だ。この資本主義社会ではMONEYの欠乏は社会的な死を意味する。LIFEも言わずもがなである。しかしDEATHの対立はなんだろうか、と考えると思いつかない。恐らく死は一方通行のものであり、不可逆的な変化であるのだ。死は全てを受け入れるが、死は死以外の何物でもない。ダムタイプは一貫して死とは何か、問い掛けているのではないだろうか。

 

 企画展を抜け、ひと段落したところでロビーにて落ち合う。

「鳩羽、朋子さんは居ないみたいだけどこの展示がヒントなのか? 俺にはさっぱりわからんが」

「面白い展示でしたね、バーが動いたり、鏡張りの宇宙みたいな空間があったり。わたしは鏡に映る朋子さんが気になっちゃいましたけど」

「俺も展示について色々思う所はあったが、これがヒントになるとは思えないな。休憩したら絵と彫刻が中心の常設展に行こう。言い忘れてたけどコインロッカーがあるんだよね。一旦荷物をそこ閉まってからだね」

 コインロッカーに荷物を預けた俺達は美術館の奥にある常設展へ向かう。まず目に入ったの、以前は屋外に設置されていたアルナルド・ポモドーロによる《太陽のジャイロスコープ》2つの輪が機械的なモチーフを取り巻いている。どこかスチームパンクを彷彿とさせる造形だ。

  テキスタイル作品で著名だった手塚愛子《縦糸を引き抜く(傷と編み目)》《層の絵-縫合》の作品群を抜け、戦後のルポルタージュ絵画を見た。思わず作品に目を取られ、人探しという主題を忘れかけていた。辺りを見渡しながら早足で展覧会を抜けるが、朋子―愛理さんの身体―の姿は見つけられない。

「なあ鳩羽、結局いないじゃないか、やっぱり日時も分からないし、無駄足じゃないのか」

「でもヒント足り得るものはあった、この常設展には草間彌生が展示されてた。朋子は草間彌生の大ファンで、著書にしかり、ドキュメンタリー映画まで一緒に観に行った記憶があるもう一度草間彌生の展示を観てみよう」

 展示を逆走して草間彌生の展示にたどり着くと、無限の網、黄色いかぼちゃ、ソフト・スカルプチュアの作品群と版画が展示してある。朋子の好みはコラージュだったことを思い出し、鳥のコラージュへ目を移した。

「朋子の好みはコラージュだったんです、きっとこれに意味があるのかもしれない」

「いくつか飛んでるような鳥・・・ですね。その隣には、魚もいるし、海のモチーフの版画でしょうか?」

「コラージュって、なんかグロいなあ」

うーん、と新田は腕を抱えて唸っている。はたから見れば絵画に興味があり造形に惹かれる美術ファンのように見えた。

「思いついた!」

二分ほど考えてた新田が突如声を上げた

次回

【エッセイ】自殺について

 物騒なタイトルだけど今現在は特に絶望しているわけではなく、病んでるわけでもない。ましてや、錯乱しているわけでもない。人に言わせれば病んでるのかもしれないが、それはそうかもしれない。

 先人達の解釈は置いておいて、あくまで主観的に自殺について述べることにする。

 僕は攻撃性のベクトルが内向きに向いた場合自殺は発生するのだと思う。他者へ向く攻撃性というものはまず物理的な抵抗、事後的には法律や警察などの司法・執行機関が攻撃対象を守る。しかし、攻撃対象が自分の場合はどうだろう。自分を守るのは自分しかいなく、例え自傷したとしても特に司法・執行機関が動くわけでもない。攻撃対象としてもっとも弱い存在は自分自身なのである。

 ベクトルが内向く動機としては、自分自身の現実と理想のギャップ、その差異から生まれる絶望が動機となるのではないだろうか。具体的には、昇進の失敗、失脚、投資によるキャピタル・ロス、受験、家庭の崩壊といったネガティブな要素が挙げられる。むろん、僕が死を考えるのも現実と理想のギャップに起因すると思う。

 同じ状況でも自殺する人・しない人が発生するのは性格の問題であり、性格というのは僕はランダムに決定されると考えていて、攻撃性のある性格、つまり自殺する性格なのはあくまでツキが足りなかっただけなのだろうかと思う。

 個人的な領域では、メタ的に、"わたし"を操作するのに飽きてしまったこともある。世界というゲームをプレイするには僕より無数にプレイがうまい人たちがいて、次の世界を構築するのはその人たちに任せればいいのではないだろうかと思う。

 自殺というものは救済になるのだろうか、試しに思考実験(シミュレーションと言うべきか)を幾度がやってみたが、確かにある瞬間で死ぬと思えば多少楽になるかもしれないが、あくまで刹那的な効果に過ぎない。楽になるのは死ぬと確信を持って思い続けるしかない。

 自殺への抵抗感についてもシミュレーションした、場所は屋上、地面との距離は30Mくらい。空気抵抗を加味しても十分に死ねるだろう。その抵抗感は好きな人に告白する程度の緊張度かもしれない。

 自殺を思うことは一種の救済になりうるが、死そのものは救済なのだろうか、死人に口なし。永遠の謎である。

【小説】屋上のりんご頭のうさぎ

 僕は人生の潮時を悟った時から死の境界線が見える。道路を通過する大型車の前面、ホームの黄色い線の外側、非常階段の手すり、すべて赤いフレームとして視覚可されるんだ。

 「死ってなんだろう、ミサ」

 人智を尽くしても死の外堀を埋める事は出来ても核心には誰一人迫ることができない。死とは死んだ人にしかわからない。しかし死人に口はない。この矛盾は未来永劫解決不能な謎。

 「なんでみんないつか死ぬのに、誰も死を語ろうとしないんだろう。死はいつも僕らの目の前にあって、僕は死神が見えるんだ。その姿はグリム・リーパーみたいな鎌を持った姿ではなくて、陽炎のように空気が揺らめいているだけ。その陽炎がある日、死を考えてる人を通過した時、人は自殺するんじゃないかと思う」

 そう、僕は死神が見えるんだ。世界が色味を失ったその時から、断続的にそいつはやってくる。僕にとって死神は身近な存在。友達とも言ってもいい。

 宇宙、死と同じく永遠の謎。僕は赤いフレームに一歩近づく。深淵を覗くとかすかに月明かりに照らされた底が見える。赤いフレームというのは人間の危機回避本能の可視化なのかもしれない。

 フォイエルバッハは自然必然性の内部における意志、その論のなかでこう言った、自殺は人間の本質"矛盾に満ちた諸現象"の部門だと。人間の自愛ともっと鋭く矛盾するか、またはむしろ矛盾するかのように見えるかするが、しかももっぱら自愛から起こるような諸現象または諸行為の部門に属すると。人間が自分の中に死の為の根拠と材料とをもっているばあいだと。

 僕にとって死の材料はなんだろう。ただ潮時と考えている。なぜ潮時なんだろうか?世界の流れについていけなくなったからだ。日進月歩でテクノロジーは進化し、文化は波のように絶えず押したり引いたり変化を伴っている。僕の周りの人間も絶えず流動している。観測者でいることに疲れたのかもしれない。

 「こうして死の境界線に近づくと安心するんだ。何か大事なものに一歩近づいているような気がして。その大事なものは位置エネルギーを伴ってしか見えてこない。もっと大事なものに近づける場所にいこうよ」

 そういうと僕は非常階段から手すりのない屋上へ移動した。周辺には高い建物が無く、練馬から新宿までを一望できる。ジャケットのポケットからタバコを取り出して火をつけた。

 「今日もセカイが良く見えるね。ミサ」

 10階部分に相当する屋上、その縁には赤いフレームがより発光して見えた。その光はぎらぎらと光っていてまぶしさを感じた。でも僕はそのまぶしさは孤独という暗黒を照らすものに感じた。

 強く発光する赤いフレームに近づくと、それの抵抗感というものは、大事な人に告白するようなためらいと緊張もたらした。でもなんだかフレームを超えるのはそこまで難しい事ではないと思う。なぜなら僕は何度か告白を経験してきたからだ。それと同じような抵抗感なら、気を強く持って勢いよく飛び出せばさしたる問題ではない。

 死、という不条理、狂気はいつもセカイに取りついている。

 

 屋上のりんご頭のうさぎが縁を飛び越えるとライオンになり、それはおもちゃのアヒルとなった。レンガの地面に激突すると六本木のサラリーマンのCGとなってペストマスクへと姿を変えた。

 

【小説】My Girlfriend,Who Is ①

1

 近未来、サイバネティック技術が急速に発達し、かつて携帯電話やスマートフォン、スマートグラスといった類いの外付けデバイスはオーギュメント社による人体に流れる微弱な電流を電源に、手のひらの上にホログラフィック展開されるスマート・リングに急速に置き換わり、かつてハードウェアで圧倒的シェアを誇ったApple社は経済史上に名を刻むのみである。

 とりわけホットな話題なのが、ヒューマンリソース社が20年ほど前に開発した脳髄から精神を抽出する技術を応用した、精神取引だ。そう、現代では金銭によってありとあらゆる肉体を相互合意の上交換することができる。

 何もリッチな奴らが良い思いをするだけではない、貧困に喘ぐ人々が新たな「体を売る」手段を手にし、結果的に富は再配分される。リベラリズムの理想形とも言える取引制度である。

生まれる肉体の造形は選ぶことができない。リッチで醜い奴―貧乏で美しい奴が合意のもと取引が行われる。新たな市場が生まれ、より「商品」の市場が増え流動的になることはリベラリズムに於いては大変よろしい事だろう。

 しかし、人間の認知機能には限界があるらしく、老いても永遠に生きようとした奴がいたが、重篤認知障害となり生きた死人となるらしい。

 ヒューマンリソース社の熱烈なプロモーションと営業支店の拡大により、一般市民に普及した「精神取引」は、IDチェンジと軽い響きのする名で呼ばれ、戸籍上の名前を変える程度の倫理感に落ち着き、みんながみんなやっているわけではないが、やる奴はやるといった具合だろうか。

 

 俺は決して裕福ではないがぼちぼちの生活を営む26歳のスマート・リングに関するアプリケーションを受託製作するフリーランサーで、今は古着に関するサブスクリプションアプリを製作している。成果に対する報酬が発生する業務形態であり、割かし時間には余裕がある。

 そして、町の不動産に勤務する2つ年下の彼女がいる。結局のところ、これだけテクノロジーが発達したとしても、土地と建物を巡る狭い島国の陣取り合戦というのは無くならないのである。

 彼女は身長は150センチくらい、くせ毛でショートカット、目はクリっと二重で、主張が強い胸部、柔らかそうな外見でスリムな方ではないと思う。性格はその胸に見合う主張の強さでややキツいかもしれない。同じ大学のサークルの後輩で、彼女が大学出る時あたりに付き合い、2年半ほどになる。

 趣味が合うので美術館に行き、帰りにはフレンチ、イタリアンなどを食べるというデートが定番だ。美術と言うものは素晴らしい。"文明"は日進月歩で進化し、文明という文脈上で"製作"された仕事は時の流れと共に価値が逓減し、博物館で展示されるような時代を物語る記念碑的制作物といった極僅かなものを除き、時代の波へ飲まれ人々の記憶から忘れ去られる。

 一方で"文化"の文脈で"制作"された仕事はタイムレスなもので、例え時代が巡ろうがその価値は永遠なのである。かつてコンテンポラリー・アートと呼ばれたジェフ・クーンズ、村上隆デミアン・ハーストらは今では21世紀美術の歴史でしか語られないが、その制作物に込められた概念は今でも色褪せない。フレンチ、イタリアン、エスニック料理なども、完全に近いグローバリズム化された現代でも、食"文化"として等しく生き残っている。

 

 さて、時間に割とルーズな俺と、そのあたりキチっとした彼女との間で軽い痴話げんかは良くあるものの、別れる別れないまでというところまでは行かず、特にこれと言った問題のない2年半だった。というのもまず俺は彼女の事が好きだし、待ち合わせの遅刻は必ず埋め合わせをしていた。

 「よう」

 久々に世田谷にある彼女のアパートへ中野から訪れた俺はいつも通りの挨拶をする。家主がいてもいなくてもだ。明りが付いていなかったので合鍵で勝手に入り、手持無沙汰となった俺はテレビを壁面に投射し、スマート・リングのホログラフィックで他愛のないニュースを眺める。

 相変わらず、流しにはつけ置きの皿もないし、化粧品の類が散らばってることも無し、服も綺麗にハンガーに掛けられていて、相変わらずまるで俺の部屋の対極にある整理整頓された部屋。俺は掃除が好きではない。現状のメインテインという保守的な動作であり、なんらかの報酬(ゲイン)を得られる訳じゃないからだ。

 

 「遅いな」

 整頓された部屋に一人呟く。今日のシフトだとそろそろ家についてもおかしくない頃合いなのだが、LiNEにも連絡がない。しかし、彼女の部屋で待つというのも悪くはない。軽く夕食を振舞おうとペンネを茹でて待つことにした。ほどなくして、

 「もうすぐつく」

 との連絡が入り、数分の間を開けてドアが空いた。彼女が帰ってきた。

 「よう、おかえり、久しぶりじゃん、朋子(トモコ)」

 「た、ただいま」

 控え目な声だ。

ともあれ帰宅を迎えられて少し嬉しさが込み上がる。

 「遅かったじゃん」

 「ち、ちょっと、部署で契約資料に関して揉めてて」

 まだ紙媒体でやってるのか。

 「ふーん」

 「ペンネ、茹でてたからボンゴレビアンコのソース付けて食べよ」

 「あ、ありがとう」

 いつになく丁寧な言葉づかいな気がする。

 俺の口癖である、

 「最近どうよ」

 「繁忙期は過ぎたから、そこまで大変じゃないかも」

 「ふーん」

 「そっちはどう?」

 「アプリのUIは出来てるんだ。あとは決済の部分を書き上げればひと段落つくかな」

 「そうなんだ」

買ってきた買い物袋からパスタソースのビンを取り出し、ちょうどゆで上がったペンネに振りかける。食事中も何となく他人と食事しているような空気感がある、話題を振っても軽い相槌の後オークワード・サイレンスが度々訪れる。何なんだ、この違和感は。久しぶりにあったからだろうか? かなりくだけた言葉づかいの間柄だし、もっと打ち解けたフランクな雰囲気があっておかしくないのだが。

 なんとなくよそよそしい食事を終え、壁面投射型のバラエティをBGMにしっくりこない空気感は持続する。心なしか芸能人のトークが空虚に響く。何やら精神取引についての話題らしい、改めて倫理はどうだの、事後の問題はどうだのと聞き飽きた話題が繰り返されている。俺にしてみれば、新興の芸能人は、建て前は反対している精神取引だがみんなやってるんじゃないか? そうでもなければ若手でここまで美男美女は揃わないだろう。彼女はテレビのそういった話題について妙に聞きっているような気がする。俺は問い掛けてみた。

 「どう思う?」

 「べ、別に、いいんじゃないかな、自由だし」

 「ふーん」

 

 他愛のないテレビを受け流すことと、何となく毎日ログインしているホログラフィック・ゲーム弄りの後、互いにシャワーを浴びながら歯磨きをし、時刻23時を回った頃、俺はおもむろに彼女に抱きついた。久々に合うカップルが夜に行うことと言えば皆が承知の上である。俺の背中に回した手はまずゆっくりと髪、首、うなじを這い、徐々に下降しブラジャーのホックの位置、腰へと辿る。腰の当りで一服した俺の右手のY軸は、更に下落しそこまで到達した。大分ご無沙汰だったのか、緊張しているのだろうか? 到達した瞬間、彼女の強張りはさらに増した。

 「なあ・・・」

そういうことだ。そういうことだろう。

 俺は頭の位置を後退させ、彼女と向き合った。俺が好きなのはそのクリクリした目。赤いアイシャドーを描いたうさぎメイクが好みだが、メイクを落とした生の目も愛せる。目は重要なモチーフなのだ。どういう原理が働くのか、対象への視線の動きをくぎ付けにするのは目。目はダダイストの重要モチーフであるし、サブカルチャー、アニメ的造形の象徴も過剰にデフォルメされた目である。

 目線を合わせたまま俺と彼女の距離は縮まっていゆき、ゼロとなった瞬間に、本日、10月21日、22時34分、問題が起こった。全ての違和感が収束された。これはいつものキスじゃない。

 「朋子、お前は誰なんだ!」

 

 「ふーん」

 23時を30分回った頃、換気扇の下で電子タバコを一服しながらいつもの生返事を返す。朋子は朋子の外見をした全くの別人であったのだ。

 「朋子さんにどうしてもと頼まれて、しばらく代わりになってくれって・・・ IDチェンジの手数料と、しばらく仕事を休むので、それなりのお金も朋子さんが出してくれたんです」

 それは、中身は北里愛理(キタサト・エリ)という人物で、同じく世田谷に住み、携帯キャリアの販売店に勤務する23歳の女性、朋子とは高校時代からの知り合いだという。

 「それで、住所と大まかに帰宅する時間を教えてもらって、それでしばらく生活してくれと、彼氏がいるけどあんまりあってないから大丈夫とのことで」

 「理由は聞いてないんですか」

 「とにかく、どうしてもというので・・・」

 朋子の顔で敬語を使われるのは非常に違和感がある。

 普及したと言えども理由もなしに利用するのはよほど人相を変えて逃げる都合があるのか、何か重大な問題を抱えているに違いないことは確かだ。

 「朋子はどこにいるのかわからないんですか?」

 「はい、気が付いたら先にお店からいなくなってて」

 「いつ頃かもわからないんですか?」

 「はい、すみません・・・」

 「何かやっかい事だな、これは」

 俺が一月ぶりに唐突にアパートで訪れたことは完全にイレギュラーだったらしい。よほど重大にも拘らず俺に何も連絡をくれないとはどういうことなんだ。電子タバコの2本目を点火させたところで思い立つ。

 「愛理さん、でしたっけ、付いて来てください。ここから電車で10分ほどの渋谷の繁華街の所に朋子の地元の知り合いで、長い付き合いの人が店長をやってるカラオケ屋があります。今日も多分いるでしょう、行って見ましょう。帰りは歩いて帰れます」

 「え、今からですか?」

 「今からです、ほら、朋子の外見なので手ぐらい繋がせてくださいよ」

 俺は手がかりを頼りに見慣れた初対面と繁華街へと向かった・・・。

 

次回