所感

生活の所感を投稿します。

シュルレアリスム

読んだ本が作家等の索引が無かったので整理ついでに

シュルレアリスム Surrealisme

 

1919年 アンドレ・ブルトンが自動記述の実験を開始

1924年 ブルトンシュルレアリスム宣言・溶ける魚出版

1929年 『百頭女』出版 全編コラージュと短いキャプション、ブルトンの序文が付いた小説 マックス・エルンスト

 

シュルレアリスムに関する誤解

一般世間でいう「シュール」は日本独自の解釈であまり正しいとは言えない。

まず「シュル」であり「シュール」と略されるべきではなく、Surrealisme(仏)で一語であり、区切るものではない。美術にそこまで明るくない人々は一般の理解の範疇に収まらない現象、状態をシュールと呼んでいる。

【追記】ビテチョの記事で見たが、ポーラ美術館がシュルレアリスム作品展を「シュール展」という題目でやるらしい。めちゃシニカル。20191215~

シュルレアリスムとは超現実主義と訳されるが、この「超」が意味するところは現実を超えるという意味ではなく、より強固な現実という意味。作者は一例として「超かわいい」形容を挙げており、これは決してかわいいを「超えた」何かという意味ではなくメチャクチャorすごくかわいいという意味である。つまりシュルレアリスムとはメッチャ凄い現実であり、非現実世界や幻想を表すわけではない。

■成り立ち

シュルレアリスムは詩人、作家、思想家のアンドレ・ブルトンの自動記述の実験より始まり、美術などの多方面に影響を与えている。自動記述とは無意識的に文章を書く実験である。ゆっくり書く場合は主語、主観、過去形が多かったが、これをひたすら高速で行った場合に現在形の動詞や名詞(=物体・オブジェ)のみが書き出させることに注目。

オブジェのみが書き出される結果に自分以外の「誰か」によって書かれている感覚を受ける。それが客観的な現実=超現実となる。

■成り立ちの補足

我々が思う現実とは何であろうか?巨大な災害が起きれば非現実的となるし、海外旅行に求めるものも非現実の体験であろう。現実は個々人の日常の惰性であり、その意は個々人の主観が大きく介入しているに違いない。主観を取り除き、何者かによってオブジェが書き出された現実こそ超現実である。この点からではむしろ「現実」の方がファンタジー味を帯びているように見える。

 

シュルレアリスムと美術

シュルレアリスムの美術は2つに大別できる

①自動記述をそのままデッサンに応用した自動デッサンによる作品 (オートマティスム)

アンドレ・マッソン 『自動デッサン』1925-26

ジョアン・ミロ 『デッサン』1924 /『アルルカンの謝肉祭』1924-25

ジャクソン・ポロック(アクションペイティングとして継承?)

②作家のイメージに浮かんできたオブジェを他の場所へ転移させるデペイズマン(Depaysement)と呼ばれる手法、主にフロッタージュ・コラージュ等の技法も用いられる

マルセル・デュシャン 『泉』 1917年

マン・レイ 『贈り物』1921-1963 /『思考に対する物質の優位』1931

マックス・エルンスト 『振り子の起源』1926 フロッタージュ/『若き王子』1927 コラージュ / 『ここに恩寵の最初のタッチと、出口のないゲームが準備される』1927 コラージュ 百頭女77pより

サルバドール・ダリ

ルネ・マグリット

ジョルジョ・デ・キリコ

ポール・デルヴォー

ハンス・ベルメール

・マックス・ワルター・スワーンベリ

レオノール・フィニ

バルテュス

・ピエール・モリニエ

・アンリ・ミショー

 

シュルレアリスムを受けての作品は①オートマティスムより②デペイズマンの方が多く、主流である。

 

参考文献 シュルレアリスムとは何か 巌谷邦夫2002年発行2018年15版